ゲスの極み乙女。
 
『だけど僕は』
 あの騒動以来叩かれて、一方の当事者が公に謝罪を要求されて干されているのに音楽活動を淡々とするのはどうなのかという批判に晒され。あれはいつの出来事だったのだろうか、単に過去の話というだけになってしまった。その騒動についての是非を問うのは別の人と別の場所に委ねるとして、批判を受けた場合に、仮にその批判が至極真っ当で批判されている側には反論の余地など一切無かったとしよう。ではどこまでの謝罪や罪滅ぼしをすれば良いのかはけっこう難しい……
 
  (レビュアー:大島栄二)  

 
『私以外私じゃないの』
 「私」という記号は、私をそのまま意味するが、実際、「私(わたし)」という発語した途端に、関係性として成立するのかというと、少しの疑念も必然的に生まれてしまう。何故ならば、代理的な存在の主体性としての「私」に負荷をかけるには“欠如した主体”が多く散見される瀬では私以外の、誰かの代替物になり得ないかという含みが出てくるのもあるからでもある。
 今の日本の音楽シーンで重要なポジションを占める、ゲスの極み乙女。は……
 
  (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))