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サカナクション
『ユリイカ』

 作家の高村薫でも『四人組がいた。』という(ブラック・)ユーモア小説を書く瀬、というのはヘビーにシリアスな表現は、現実との照応性を鑑みると、自身の範囲内で充分でも、ノンフィクションではなく、ナラティヴとして巷間に呈示するにはあまたのハードルがあり過ぎるのかもしれない、というのは察するに余りある。日本でも、突端的にして意味深い存在としてあるサカナクションが高度にして好戦的なパフォーマンスを実現化していきながらも、曲が複層的に“もののあわれ”的な和的情緒をメタ・インストールしてゆくのはなぜなのか、考えることもあった。
 「ユリイカ」での“TOKYO”、そして、女体のヌードを撫でる山口一郎、熟成されたともいえる映像美。もはや、彼らは例えば、ピンポイント・アンセムたる「アルクアラウンド」、「アイデンティティ」や『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』から全く離れた異様な張り詰めたテンションと、モダン・アート的な挑発性を含めた活動を進めている。
   〈なぜかドクダミと それを刈る母を思い出した ここは東京 
         蔦が這うようにびっしり人が住む街〉(「ユリイカ」)

 過去の母の記憶と、東京というびっしり人が住む街という記号対比を過度なEDMではなく、平熱のエレクロニック・ミュージックで包摂し、排除しない様で届ける。
 筆者は、近年のクラフトワークの3Dライヴで打ちのめされた感覚も別位相から最近の彼らから受けることがある。言葉だけじゃなく、映像・演出、音楽そのものから伝わってくる何かは“フラグメンツが寧ろ、総体性を求めていかない。統合が不全のまま、分裂したままの断片が相対性へのイマジネーションを膨らませようとする。”アート的であり、どこまでも既存表現へ牙を向くサカナクションという存在はもしかしたら、既存の日本のオルタナティヴ・ミュージックへの生々しい再定義を促してゆくのではないかとも思っている。
 自曲のリミックスでも、石野卓球、AOKI takamasa、そして、コーネリアスなどまでを招くまで尖り方の照準がブレなく定まっており、このたびは「さよならエモーション/蓮の花」もリリースされるのだが、今一度、musipl.では「ユリイカ」のMVをあえてピックしたいと思う。残響の中に、映り得るのは”TOKYO”という象徴記号を通し、コンセプチュアルに固められたMVからはあらかじめの誤配可能性ではなく、受け手側は感情的色彩を自在に覚えるのではないだろうか、という意味の文脈に対して今更ながら、ある種の切実な祈念的な何かを感じるからでもある。
(2014.10.30) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


   
         
 


 
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