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indigo la End
『瞳に映らない』

 musipl.にささやかに参加させて戴き、日々のレビュー以外に取材記事、レビュー、色々請け負わせて戴いたが、編集長の大島氏はツイートや発言でも日本の政治状況から多岐に渡る分野まで知性を研ぎ澄ませており、そして、このサイトでも“無名の~、これからの~”に拘りながら、じわじわと位相の深まりが増しているようなところを感じる。自身は、或る意味でその中でも対象的に、かつ異端からの場の在り方を弁えてはいた。
 2014年、そして来る2015年のあいだで筆者は、よく川谷絵音のことを考えた。知っている人も多いだろう、ゲスの極み乙女。のメイン・シンガーソングライターとして新進バンドとしては異例のブレイクをし、それでいて、そこに込められたビート・センス、歌詞、情念の深さは決して表層的に流されないものもあった。
 同時に、彼が受け持つこのindigo la Endの曲を聴くと、そのウェルメイドな意匠に隠れがちながら、内奥には、恋愛的な慕情への情念が“妄執”の領域にさえ感じもする。清涼なギター・ポップを軸に繰り返される「あなた」。MVの中での“あなた”は各自で確認しておいてほしいが、こういった書割の“YOU&I”はいつかのセカイ系以上に、日常範囲内でより増えている気配さえある。
 “あなたの向こう側の、セカイの破局”ではなく、世界が不穏な中での、あなたと、わたしの不安定なバランス。でも、“あなたのためなら、私は死んでもいい”までの距離の間で、どうにもバグが入ってしまう感じもある。「ふたり」で居ても、ひとりなら、ひとりのままで、ふたりの振りをしようとするのならば、コーヒーカップ、踏切など既存のクリシェが彼岸側へとリーチするようで皮膚感覚から少し浮いた場所でざわつく。川谷は、ゲスの極み乙女。で“猟奇的なキスを私にして”と歌ったが、彼の中でのあなた、と、わたしとは実のところ、対象性の差異文脈を無化せしめ、空虚に「ふたり」という、ひとりの中でアフォードする感じがあるのもどことなく得心がいく。だからといって、完全に閉じ切っていない空気感が、人間というものが「関係性の生物」である本質をむしろ刺激するのかもしれず、そこが誰かのリアリティとしても、自身のリアリティに格納されてしまう錯誤性も表出してくるともいえるのだろうか。
 だとしたならば、いかにも現代的といえる、濃密な情報量とカルマに塗れた、少しニヒリスティックなリリシストなのだなとも思う。日本のニューウェーヴ系映画の一部で、死、血、ゾンビ、キス、純愛がフラットに並べられるのがなんら違和がないみたく。
(2014.12.30) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


   
         
 


 
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