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クラムボン
『yet』

 クラムボンも20周年だとか。原田郁子の浮遊感ある特徴的な声に癒されるのか癒されないのかが好きか嫌いかの分かれ目なのだろうとずっと思っていた。思っていたということが、いかに彼らの音楽をチェックしてきてこなかったかということの証拠なのだろう。先日リリースされたこの新曲では原田の声さえもサウンド全体の一部に組み込まれたかのような仕上がりになっているし、ここ数年の曲などを聴き返してみると、単に彼女の声だけに頼っているバンドなんかではないということが手に取るように解る。今回なぜクラムボンに触れようと思ったのかというと、新譜リリースに合わせて行われたミトへのインタビューを読んだからである。その中で「もうバンドはほぼ、アウトです。それは自覚したほうがいいです。」と語っていた。現在の音楽シーンでバンドが置かれている状況というのは確かに厳しく、だから相当の焦りがあって普通だろうと思うし、思わなければアウトだろうというのは僕も思う。だが、ミトが感じて取り組んでいる変化と闘いというものが、僕にはどうにも馴染めなかった。それは僕自身が旧い世代ということなのかもしれない。だが、根本的に音楽屋など日陰者で当たり前という感覚があって、誰からもカス扱いされながらもカスの魂を昇華させることに意味があると思っている。だから武器を手に入れて他のフィールドとも戦うんだということは、結局は音楽創造の本質を見失うのではないかという違和感が湧いたのだ。いや、もちろんいろいろなことに取り組んでかつてない表現をクリエイトするということは大切だし、それをどうマーケティングしていくのかということも非常に重要だし、何をやるにも基礎体力の向上は超重要なのであるが、だがその重要なことが創作の部分にまで浸食してしまっては、はたしてそれでいいのかなと、そんなことを感じたのである。今回のこの曲、サウンドの一部に組み込まれた感のある原田郁子のボーカルが、それでもきちんと場の中心で存在を主張していて、インタビューで主張されていた高度な作詞がその声を越えて存在を示しているかというとそうではないと思う。そしてそれでいいのだと思う。それが旧式な考えなのだとすれば旧式な考えでも構わないのだが、僕の耳にはどうしても、彼女の声が盛られた鮪の刺身で、ストリングアレンジの重厚さもただの刺身のつまにしか過ぎないように響いてきたのである。
(2015.4.4) (レビュアー:大島栄二)
 


   
         
 


 
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