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Lulu Gainsbourg
『Lady Luck』

 何かの際に、二世、または、親の七光りがつきまとうというのは、既得性以外に、その先達の背中が大きいほどに、自身のアティチュード、真価が試され、ときに拗れたり、負荷になったりするもので、先ごろには、90年代初頭のUSのグランジ・ムーヴメントを牽引したバンド、ニルヴァーナの亡きカート・コバーンとコートニー・ラヴとの間に生まれたフランシス・ビーン・コバーンが今や22歳になり、それこそ、ニルヴァーナのドキュメンタリーにて答えている姿は興味深く、「ニルヴァーナはそんな好きじゃない。」というような見出しはよく見受けられるものの、ニルヴァーナでも「Territorial Pissings」はいい曲だと言及し、「Dumb」には父の心情が反映されていて、泣けてしまうというところはやはり抗えない血脈を個人的に感じもしたものだった。

さて、セルジュ・ゲンスブールという、いまだにある種のフランス的なスノビズムと知性、デカダンスを抱え込む一人のポップ・スターを父に持つ子息たるルル・ゲンスブールも、やはり時代は違えども、父を引き継ぐセンスにやや縛られていたところはあった。ゆえに、2011年の初作は、豪奢なトリビュート・アルバム的様相になったのは止むを得ないともいえたが、この二作目はオリジナル・アルバムとして「自我」が着実に、芽吹き始めている。

無論、この「Lady Luck」のアフロポリリズミックなところには90年代のクラブ・カルチャーで再蘇生したセルジュの1964年の『Gainsbourg Percussions』との近似性を感じながらも、全体な流れは2013年にダフト・パンクの招聘によって再び存在性を大きくしたナイル・ロジャーズを思わせる心地良いカッティング、80年代的なスムースな音をなぞり、アンニュイなウィスパー・ヴォイスでセクシャルに色を添えるというのは流石に最大公約数的なサウンドだともいえる。しかし、セルジュの名を詳らかに知らない人がこの曲を聴いても、違和なく伝わる情感はあり、どうやってもこれまではパスティーシュ的な側面が透けざるを得なかったルルの愈よ、オリジナリティの存立としての強さを帯びている片鱗も伺えるのは頼もしい。

大きな存在、歴史が一旦、終われば、その伝承のための障壁は否応なく、肥大、もしくは砂粒化されてしまうきらいがあるが、ルルはひとつのオイディプス・コンプレックスを継承しながらも越境しようと試み、よりアクチュアルに現在のマルチカルチャリスティックな磁場に従順なまでに鮮やかに、“リラの門における切符切り係”ではなく、あくまで、フランスの外部(注:今作のレコーディングはロンドン、NYで為された)から改めて多文化の混ざり合う場をフランス的な、内部経路を抜け、攪拌し遠方へ届けようとしているのは面白いと思う。
(2015.4.23) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


   
         
 


 
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