Unknown Mortal Orchestra『Multi-Love』 Next Plus Songローザ・ルクセンブルグ『フォークの神様』

Hocori
『God Vibration』

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 この曲から、自ずとだが、00年代前半から中期だろうか、都市におけるレコード・ショップ、クラブ・カルチャー、カフェなど多様な情景が脳裏を掠めながら、デ・ジャヴではない何かも確かに感じた。フリーテンポ、スタジオ・アパートメントなどのいわゆる、美メロ・ハウスがあちこちで流れていて、イタリアの〈スケーマ〉、〈イルマ〉といったレーベルのレコード、はたまた、〈ランブリング・レコーズ〉辺りが積極的にリプレゼントしてきたカフェ、エアポート、ラウンジ対応のクールで洒脱なミュージックがもたらせたものの新たな血脈として、巡ってきている感覚に、ローリング・ストーンズの数々の曲がボサノヴァ・カバーをほどこされ、お洒落な雑貨店やカフェ、バーのムードを支えていた苦いフラッシュバックが滲み重なるような、そんな何か。そして、ドレスコード抜きの社交場としてディスコ・ミュージックがかかる蠱惑的な宵風もともに。
 このHocori「God Vibration」は、程よいテンポ、甘美なディスコ・ミュージックのエッセンスを含んだ、フィメール・コーラスの機能的なカット・イン、桃野陽介のボーカルが新たに「神様」という大文字のセンテンスの妙を響かせる空気感まで、強度やオブセッシヴな即効性より、サルソウル辺りの音とともにクラブで体感すると、心地良くスイングできそうな、昨今のディスコ・リヴァイヴァルの潮流との接続点も見え、いとまを大切にしたファニーな音楽として興味深い。いい大人同士の、懐古的なディスコ・リヴァイヴァルも確かにあるのだが、2013年のダフト・パンクの新作から俄然、クラブ・カルチャー、ポップ・カルチャーにおけるディスコの持っていたあらかじめの軽薄さや過去の悪しき機能性の部分性だけに依拠しない“音の政治性”の全体性に新たにフォーカスが当たってきたという意味のそれは、懐古的な巻き戻し、反芻が行なわれるディスコ・ミュージックへの視座とは精緻には違う。しかしながら、単純にディスコがいいな、と思うのは踊っていると、程よくその場の人たちが同じ(ような)ステップになるところで、バラバラに、個々で踊ればいい、というのではなく、差異と強調ではなく、差異の中に“協調”の文化磁場への導線が組み入り、集合的無意識の中で今はむしろ、そういうところも希求されているのかもしれない。速いBPMで、強烈な音圧で熱狂的に踊ることができる音楽はもはやEDMやロック・ミュージックでもデフォルトな訳で、それがフェスや大型イベント、ストリートの中で多少なり均質化された中におけるカウンターとしてのディスコ・リヴァイヴァルみたく位置づけると、寧ろ新しい価値の視座でディスコとは、“人肌の通ったダンス・ミュージック”としてのニュアンスがあるような気もして、この「God Vibration」でもじんわりと温かさが馴染んでくる。
 Hocoriは、少し捻じれたサウンド・センスやパンクなアティチュードを保持しながら、07年のデビューから現在まで無比のポジションを築き、活動を続けているロック・バンド、MONOBRIGHTの桃野陽介とgolfのコンポーザーとしてエレクトロニック・ミュージックの多彩な面を模索し、同時に映像プロジェクトなど手掛ける関根卓史からなるデュオで、まだまだ展開は見えないが、この一曲からでも伝わってくる断片には今後が楽しみになる。冒頭に書いたものの、多少なり歴史考証的な接点を紡ぎ合わせたり、誰かにとってはノスタルジアの対象になったり、はたまた、初めて対峙する人は新鮮な野暮ったさをおぼえたり、そういったことも大切だが、踏まえずとも、ディスコとは、音楽が好きな多種多様に懸命に生活をおくる人が日常の憂さ、世知辛さを置いて、ささやかな開放、躍動を許してくれる何かでもあったゆえに、難渋な今に響くべきグルーヴに個々自由に心身を揺らせてみてもいいのではないだろうか。
(2015.6.18) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


   
         
 


 
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