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宇多田ヒカル
『traveling』

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 国民的歌手ともいえる重い悲哀と、微かな希い的な何か。このようなタイプキャスティングされた言葉を附箋の役割にしないといけないくらい、嵐の季節に彼女は颯爽と戻ってきた。「花束を君に」、そして、「真夏の通り雨」。二曲とも、散り生きて、咲き活きてまた見えてくる象徴のひとつとして、陰と陽といった明確な印象でもなく、混ざり合って、そのままに悲しく、慈しみ染み入りながら、歳を重ね、新たな家庭を築く中で自然と出てきたようなたおやかな母性が温かい。さらに、深読みをし続ければ、彼女を巡る亡き母の問題、何らかの集合的重圧から為る底知れない集態期待から、フッと心身を放して、個々に課せられた重力と因業を、瞬時だけ忘れてさせてみせるような「何か」が今までに無く純度高く宿っていることに気付く。ある曲と似て。小さな固有名詞から、あくまで離れた上で、別れ、真実に敏感で居る彼女は90年代後半に国境線を関係なしに、しかし、あくまで、日本の普遍たる慕情、演歌に近い「First Love」を唄い、「First Love」は誰もがモノにできない不思議な唱歌のようになった。その後も実験性やサイケデリア、真摯な表現を強めながら、人間活動とともに2010年末には大規模な休止に入った。
 キリンジの言うエイリアンズの一人のようで、どこかぶっきらぼうで可憐で、素面な人間として戻ってきた彼女に求める“べき”エッジはここにはない。あくまで、彼女自身が鋭敏なまでに自覚的な要素だろう、さよならの必然、会者条理、諸行無常も根深くあり、それがこの現在だと、蠱惑性を増した声で近く記号的に響いてくるだけでもあるといえる。ここが、2016年という磁場なのだと思うのとともに、ある知己の誰かがアンジェラ・アキの新曲と間違ったことは全くディスや勘違いではなく、とても健康的な「深呼吸」だと思いさえするからだ。具体的な事象群によって、世界中が性急に軋いでいる際における、あくまで「涙色の花束を君に」という負フレーズ。そして、花束が違う誰かに渡されますように、歌に込められる情念は、やはり深い。かのように、ある曲、2001年の特大ヒット曲「traveling」が軽快なハウス・ビートでサイバーパンクに“週末を逃げ出そう”と示し合わせた軽さ、と別位にて交わる錯覚が脳内をよぎり、無論、今の彼女の声、新曲が巡った。

 言語なき花にこそ、国境は混じり合うなら、旅の境目には彼女のくらいの心意気は要る。やはり、カオティックなこのシーンに戻ってきたことは素直に嬉しい。堅苦しい文法から少しズレて自由に個々に花束を捧げられるならば。
(2016.4.21) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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