カフカ『ニンゲンフシン』 Next Plus SongJames Blake『I Need A Forest Fire』

ぼくのりりっくのぼうよみ
『Sunrise(re-build)』

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 セミナーや講義で最後に設けられる、便宜的な質疑応答の枠は基本、質疑側が配慮の上で、短くおさまる。それは、これまでの話として、やはり質疑はあるのだろうが、今は「応答性」にだれも期待を求めていないのかもしれない。LINEなどのアプリにおける既読スルーなんてことに傷つかずに、もっと、Snapchatを有効利用している人たちの「速度」に同一化出来るところがある側面を踏まえて。強度、深度、重度、どれで人と繋がるか、考えるのも野暮だが。

 あくまで、ジェンダー論として旧弊墨守たる男性的な価値観を持っている人たちは何でも記憶よりも「記録」を重視しがちになるが、女性的な価値観となれば、瞬時に自己の存在理由(レゾンデートル)が成立すれば、そのやり取りさえ消えても構わない。分析の視角は幾つも要るし、既存の高度経済成長型の日本のモデルの中で飼い殺されそうになっているユースの集合的無意識と、まったく別の高齢化と、地方化したイデオロギーのような決まり文句の「あいだ」に、どんな感情の環が巡るのか、と想う。

 EDM、フリースタイル、ダンス、そして、イノセンス。基本、身体性が伴い、敏捷性の高さがヘドニズムに直結する音楽を選び、そこに尚且つ付加価値を見出していき、掘り下げてゆくという意味ではクールといえるし、例えば、完全にマッドな領域にあるカニエ・ウェストがテイラー・スウィフト、クリス・ブラウンなど錚々たる面々とヌードを披露した最近のMVでも、如何にもな猥雑な問題というより、曲がどこまでのビート、メッセージ性を孕んでいるかによるし、「ロックと政治性」について深く考えるならば、ウッドストックやビートルズ、U2、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなどに問わず、幾らでも歴史が鎮座している。

 それよりも、意図せず露骨じゃなくても、SNSサイドにこれは不適切な画像です、って指摘される気分はどうなのだろう。

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 ぼくのりりっくのぼうよみ、の佳さはシェルターの中で言いたい放題で完結するのではなく、「個」から井戸の奥で普遍性に繋がるというアフォリズムも軽くかわして、MVや言葉の端々から痛烈な政治性を感じるところにあると思う。自身もちゃんと傷つき、その分、あまりある優しさが胸にせまることが大きい。Shing02やTha Blue Herbの時代と違う、KREVAを経てもと思うが、このドリル状に巻くしたてられる言の葉の数々と、その意味が昇華されるのか、視えないがゆえの美しさ、その一秒前に絶望していても、一秒後にはちょっとはマシかも、みたく、その間を躁鬱的に行き交うステップがあまりに鮮やかだ。

 言葉数は増えていき、400字詰め原稿用紙が追いかけるようになっていきながら、スムースなトラック・メイキング含めて見事なまでに、シティー・ミュージックがロマンを記号化させる臨床実験を行なっている、シビアなリアリティに魅せられる。日々、膨大にUPされるどこの誰かわからない人たちの意見、持論、音楽―

 その膨大な量の中で敢えて真ん中に向かうさまは、重心の関係性で遅くも染みるフレーズがある。いつも、ユースは感情に追いつくように、言葉が有り余る。それはどんな時代でも。年齢は関係なく、性差は関係なく、刹那のために紡がれるどうしようもない想いは普遍的に響き、星の残滓として変換されるのかもしれない。

(※2016年12月23日現在、動画アイコンが削除されたような表示になっていることを確認しましたが、クリックすると問題なく動画が再生されるようです。)
(2016.6.28) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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