The Avalanches『Frankie Sinatra』 Next Plus Song大森靖子『TOKYO BLACK HOLE』

Paranel
『温度』

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 そこまで愛嬌が良くなく懐かなかったが、16歳位まで長生きした犬を想い出したり、穏やかな最期でも片付けられない親縁の部屋があったり、きっと何か「モノ」をひとつ動かしたりしてしまうと、何か「空間」に日々が入ってしまうのではないか、という臆病な、ただ、想い出というのはどうにも生存者だけを老いさせ、旅往きた者を視えなくさせることがある。心当たりではなく、心のこり。

 それでも、日々の平穏はなくとも、入れ替わり、終わり、また始まり、止まることはない。新しい部屋の灯りの隣に消えたままの部屋、「入居者募集中」の看板。どこにも不可知な温度があって、その温度が冷たくなった時分に緩やかにそれは終わりの兆しを受け入れるのかもしれない。時間がまるで停まったような昼間の公共、大学図書館で、懸命に新聞紙を捲る凛とした風情の初老の男性、腕時計を気にして孫を迎えに行く少し腰の曲がった老婆、ゲートボールと、破れたままの広告が散らばる道路。深夜ラジオの集いに行ったときの孤独の重みと盛り上がる共通のことば。

   ―すべて温度があって、ふと途切れる。  このMVも淡々と見ているだけでは過ぎる。日本の、どこにでも、よくある風景ともいえなくもない。奥様を亡くした老画家の回顧録。生活の断片には、それまでの長い歳月を容易に思い起こさせられ、淡いブルー、終わりの予感も含まれている。⦅LOW HIGH WHO? PRODUCTION⦆の主宰者のひとりである彼の新しいアルバムには「うたもの」とも呼べない、歴史の亡霊と声の政治性と、伝わる言葉でセンシティヴに紡がれている。

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 余談だが、ルー・リードが1973年に『ベルリン』というアルバムを発表した。今でも、語り継がれ、聴き継がれている作品の一つだが、内容はまだ壁があるベルリンでの二人の男女を巡る悲しく重いラブストーリーを彼がストーリーテラーとして語る。救いがないようで、最後に「Sad Song」と曲で、何度も「悲しい歌だ」と繰り返されることで、窒息してしまうような物語を昇華させる。

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 Paranelが「自身のことを歌う最後の作品」というアルバムからのこの曲は「Sad Song」なのだが、じわじわとフレーム越しに受け入れられてゆく時間と温度の消失を感じるという意味では、とても健やかに想う。

 最後になるが、この曲が収録されているアルバムは、ピアノと声のみで作り上げられている。佐藤伸治、徳永憲、ペリドッツなどを思わせる彼岸までの距離感を見失わない声の肌理がとても悠亡と響き、そして、悲しい想い出はリセットできず、蓄積され、それでいて、時間の流れが静謐に日々の微睡みを促す。そのような「温度」にも深く胸打たれてしまう。
(2016.7.14) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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