Paranel『温度』 Next Plus Song野宮真貴『スウィート・ソウル・レヴュー(盆踊りVersion)』

大森靖子
『TOKYO BLACK HOLE』

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 大森靖子というのは同時代のどのシンガーとも違っていて、じゃあなにがそんなに違っているんだろうと思っていた。活動が突飛で行動が突飛で、そのアクロバティックなアクションばかりが注目を浴び、ファンからもそれを期待され、期待に忠実に応えるが故にまたそういう突飛さを好きになる人たちに囲まれるようになる。一時的な刺激はやがて平常になり、同じ刺激量では物足りなくなっていく。それは薬剤耐性のようなものであって、なにも薬に限らず、表現にも当てはまる。音楽というのは表現そのもので、そこに付随する他のパフォーマンスとは別に独立している。突飛な行動パフォーマンスには耐性がつくことによるオーバードーズの方向に向かっていき、今以上の突飛は何かと追求しても結論が出ない状態がやがて訪れ、もっともっとを期待する「ファン」が失望し、能力的にも経済的にも活動停止を余儀なくされる事態というものが容易に想像されるが、そこにしっかりと音楽が存在していれば、そのような悲劇は回避される。レビュー公開時点で彼女のHPトップにリンクされているのは2013年のインディーでのアルバムに収録されている『音楽を捨てよ、そして音楽へ』のライブ動画で、そこには彼女独特のパフォーマンスの姿が映っている。やはり彼女のことを支持する人の多くはそういう過激なパフォーマンスを望んでいるのだろうし、それに応えていくこともビジネスの規模が拡大したアーチストとしては必須のことだと思われる。だが、こうして音楽表現としての曲、もちろんそこに含まれるのはただのサウンドだけではなく、詩の中に込められる彼女の視点と価値観があるわけだが、淡々と歌われるこの音楽の底力を余すところ無く発揮していて、ああ、大森靖子が同時代のどのシンガーとも違っているのはここだったのかと今更ながらに気づいてハッとする。この中に、彼女のこれまでの活動の軌跡が詰まっていて、だから音楽として単独で成立している故に誰かがカバーしても十分に価値ある曲として成立するだろうと思うのだが、でもやはり彼女自身が歌うことによってひとつひとつの言葉が意味を持って羽ばたきだすのを実感する。MVの中で踊るのは知っている大森靖子の姿とはあまりにも違い、これまでの表面的な大森靖子的なイメージとの決別を宣言しているようにも見える。「捉えてよ今 すぐに消えちゃう全てを歌っていくのさ」というフレーズが、今まだ捉えられていない自分というものへの注意喚起のような気がして、とても切ない。
(2016.7.15) (レビュアー:大島栄二)
 


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