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ASIAN KUNG-FU GENERATION
『夜を越えて』

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 “あじかん”に命を救われたことがある。

 濃霧が降りた隣国の都市で、接待というか、或る種、惰性的な儀式のなかで「日本の歌を」となったときに、片言で”ア・ジ・カ・ン”と言ったアンニュイな女の子が居た。カラオケ店名は「青く澄み渡ってこれ以上ない」みたいな普通話だったが、日本人の客は少なく、たまたま、オーガナイズしてくれた方に連れられるままに、原色のネオンに果物とともに熟した。

            ***

 ASIAN KUNG-FUNG GENERATIONの存在は誠実なまでに日本語詩の機微を活かし、オアシス、ウィーザー、ファウンティンズ・オブ・ウェインだけではないが、文脈上にあくまでパワーポップ的な音を衒いなく鳴らすバンドとして今も重要なバンドとして在る。自身とは同世代ではないものの、「君という花」を音楽ミュージック・ビデオ配信番組で観て、当時、軽音楽部だったひとつ下の女性と「アジカンいいよね」なんていいながら、MDのやり取りをしていたのを想い出す。2003年のこと。遠い、遠い霞んだ昔話のようで、いやもう、昔話で、誕生日プレゼントも歌が入ったMDだった。ボニーピンク、エアー、ザ・ピロウズ、ストレイテナーなどが大好きで、何度か一緒にライヴにも行った。オールナイト・イヴェントのアンダーワールドやオウテカのライヴの説明をしていたら翌朝の喫茶店でほぼ寝ていたり、その後は知らないが、幸せにどこかで過ごしているのだろう。

 アジカンはそういう蓋然性の束を不意に縫う。

 昨年、話題になった2016年版の再録版『ソルファ』で、細部にはうなされるところは多々ありつつも、アレンジメントから何から「君の街まで」という曲に重みに感動した。優しくも強く、心の琴線に染みる曲はない。再録することで、もう君の街まで行くよ、って行ける切実味が増す感覚と、もう君の街がない意味のなかで引き裂かれながら、そのまえに彼らはユーロ圏や南米ツアーや世界を飛んでいたさまを踏まえると、航行の果ての両翼に当時はバグや軋みがあっても、おそらく頼りなかった「君がどんどん明日の羽になっている」進行形が美しく咲いている。

  揺らいでる頼りない君もいつかは
  僕らを救う明日の羽になるかな
       (「君の街まで」)

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 冒頭に戻そう。

 「あじかん」というのは2010年のシングル「迷子犬と雨のビート」のジャケットに中村佑介氏のイラストとともに刻まれている文字で、ホーンが響く軽快な曲にして、少し先の3.11を前にした凪のような時期の実験的にして果敢な野心作『マジックディスク』からのもの。自分は、暢気に上海万博視察に行ったりしていた。PM2.5の気配より、上海テレビ塔で透明な足元から下を観て酔いそうになったのを想い出し、当時、珍しかった日本系のチェーンうどんやでビール缶を高く並べるカップルが気になりながら、光が降ってくる印象のなかでまだ牧歌的だった。

 僕の街までの過程は、君じゃない。

 カラオケで「迷子犬と雨のビート」を歌った。みんな、パラパラと拍手をしてくれた。大阪、心斎橋のTSUTAYAでJ-POPコーナーが見事に『ソルファ』だった2004年の景色。商店街。道頓堀、今井の鍋焼きうどん、法善寺横丁。瞬時に、馴染みの田楽の店に逃げ込み、ネクタイを宵に緩めるときの街の優しさ。そんなことがフラッシュバックしながら、2010年の時点では、どこか迷子犬だった自身はそれからもあれこれあった。でも、アジカンも、自身もまだここに居る。死なない、死ねない命はない。枯れない、終わらない残響はない。今の彼らは、また、ボーカルの後藤正文さんの多岐に渡る活動とともに、何だか命を賭して伝わらないのだったらいいや、ではなく、真摯な姿勢がより頼もしく映る。ライヴでのオーディエンスの振舞いから何まで。きっと雨上がりに希望的な何か信じている人たちなのだと思う。

 私的に、ブラーのハイド・パークのライヴに行ったときに、グレアムも戻ってきた四人のブラーだったのだが、もうその佇まいだけで嬉しかったのを想い返す。アジカンも四人の在り方でこそ、眩いものがある。

また、きっと突破力という意味で、パワーポップ・バンドとして、や、リフの面白さ、歌詞の重厚さだけじゃないのだと思う。ランドクルーザーみたく、急坂の向こう側を視ようとしているバンドなのだとも思ったりする。向こう側に絶望的な何かに近い景色しか拡がっていなくても、もうその先さえ見よう、というような。それが彼らにとって「夜」として、越えた夜に音楽が鳴り始め、街は名前が産まれ、迷子犬が家に戻られるような、政治家が頭を抱え、言葉が戻ってくるような。

 其の、夜には時差はもうない。誰もがどこかで何かを憂いを闇を呟いている。だから超えないと、未来もないのだろうと想う。

  遠くの街の出来事がニュースになっても
  僕らはいつも他人事にして忘れてきたんだ
          (「夜を越えて」)
(2017.2.25) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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