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YUKI
『さよならバイスタンダー』

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 例のUSの大統領の荒唐無稽なツイート群や挙動で「GOLD」の相場が変化するので、それで金を「MONEY」に換えているドキュメンタリーを幾つかの国や地域の例で重ね合わせて深夜に観ていたときに、貧富差の差が分からなくなってしまうときがあった。此方側から見ると、まだまだ想い出と意味合いがありそうな金のリングが幾らかで売れたときの顔に不気味さをおぼえたのもある。日本の経済雑誌が「子供に食える仕事を」という見出しとともに、特集を組んだ内容を読んだのと似て。食えても、幸せじゃない人たち、優しく搾取構造のなかで取り込まれてゆく人たちは要る。でも、究極的には―
  想い出はいつもキレイだけど
  それだけじゃ おなかがすくわ(「そばかす」)
なのだろう。ジュディマリ時代、ソロ活動を始めた頃からすると、多少の迷走もふくめたうえで今では完全に一種のイコン化しながらも、彼女は完全にセルアウトした気はしない不思議なところにも居る。それはどこかずっと、アートとの絶妙な距離感を持ちながら、初期はビョーク的な音風景を模索したり、ときに、セクシャルな唄をビッグバンドでたおやかで歌うさまからして、生物体としての女性の強さ、細やかさを逆手にとっている感じも受ける。ライヴで盛り上がるダンス・チューン「Joy」にしても、個々は特性をもってバラバラであればいいことを誘う。YUKIという女性は何だかとても、女性性を弁えすぎて悲しく映るときもある。だからいって、誘えるアーティストとしてはとても優秀すぎるとも。しかし、確実に「強度」へ変えていってゆく過程で、まだまだ根深い日本という国のガラパゴス的なジェンダーの概念や意味合いは緩やかに多様性の中で移ろってゆく様な可能性も彼女のような存在の中におぼえもする。

 聴き心地はいいウェルメイドな、この「さよならバイスタンダー」で、また次に行くようだ。ポップなものがときに模範解答的な死相を浮かべてしまうような瀬に、彼女は傍観者(バイスタンダ―)にさよならを云う。これはこれで、歳を重ねての円熟とはまた別のオルターな象徴のひとつのになるのではないか、と思う。先行世代、同世代のアーティスト、表現者、発言者、同時にナイーヴな論者が消えゆくなかで、変わらない彼女のラララは夜明けを照らし、単純に美しく。

 いつかみたく、“綽綽余裕で暮らせなかった”人たちにも、まだダンスを続けられるよう、どこで流れていても耐久力のある歌の持つ力とともに。

 「星屑サンセット」、「ビスケット」のような柔らかな疾走感に似ながら、シンフォニックな高揚するなかでただ、静脈的に浮き立つ世情の悲愴さがよりこの曲には端々にひそまれているのもいい。シャーデーの全放射的に光が放たれながら、影の麗しさに魅せられる一時期の曲を聴いている気分になってしまうような。情景描写や時代背景、事情の差は深くあれども。

  さよならバイスタンダー 僕らは歩いて行く
  この道行きの最後が 天国か そこらじゃあないとしても

 傍観者は、常にカフカな未完の『城』を探すだけで終わる。

 そして、自身が決めた覚悟の、先の郵便ポストに光を投げ入れるときの気持ちの差分だけ、グルーヴが今、いいムードでうねっていて、彼女、そして、彼女が都度、打ち出す主体的コンセプト、音風景、気の置けたチームとのワークスとしての熱量はとてもひとつの理想像の一つとしてうつる。この、わたしをどんどん巻き込みなよ、って雰囲気まで。この曲を含んだ新しいアルバムが『まばたき』で、そんな未来は棄てたものじゃないと思えるうちはきっと大丈夫だ、と。花粉や粉塵、暗いニュースで眼をついまばたきをした瞬間に「傍観者にならないよう」に、どうか。
(2017.3.4) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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