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阿佐ヶ谷ロマンティクス
『所縁』

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 「東京が近くなった。」とは言われる。それでも、自己の中では遠心性がどんどん出てくる。このmusipl.でも、編集長の大島氏もレビュワーの北沢東京氏も夜鍋太郎氏も東京に造詣が深そうで、そのなかで、自身はといえば、そこそこに訪れてはいるものの、行く場所は限られていて、地名や鉄道の線名を聞いても確認してしまうほど田舎者で、でも、田舎者は、今は「異境者」でもあるので、ストレンジャーとして幅をきかせるのもいいのかもしれないと開き直りもする。しかし、新幹線で東京駅に降りたときのあの圧倒的な人の量には圧倒される、春節時期の北京駅の列車も凄かったのだけど、もっと潔癖な混雑。それが東京は昔からあって、でも、優しくしてくれる人もそれなりに居る。

 そのなかでも阿佐ヶ谷はずっと気になりながら、よく考えれば、ジャズ喫茶や多様性が根付く良いところらしい。そして、その地名を付した阿佐ヶ谷ロマンティクスの音楽はずっと気になっていたものの、どうにも端整で書きどころがなく、阿佐ヶ谷にいざ行ってみたらわかるかもしれないと思いながら、ふと私事で重い案件を負って、碌に食事もとらずに、宏大な京都駅内のコンビニでお茶とサンドイッチを買って、くたびれて、とある電車の椅子にもたれかかって、彼らの音楽を聞いたときに、そして、窓から東寺の叙情が見えたときに涙ぐみそうになった。日々の風景と何気なく交尾する音楽、それが阿佐ヶ谷ロマンティクスなのかな、と。交尾したあとの虚無感も含めて、滑らかに電車は進み、時計は停まり、音楽は浮揚する。何だかそう考えると、東京、阿佐ヶ谷まで行かなくてもいい気がして、彼らの音楽はシティ・ポップのようで、最近、リバイバルし、リノベーションされている団地、URの香りがどこかにして、その感覚は日本の同時代感覚と合う。キリンジも昔、「ニュータウン」と歌っていて、そこから、ayU tokiO「恋する団地」と昨今歌い、映画でも団地を巡ったものが散見される。団地にはロマンティックなほどに現実が切実に込められている。少しの諍いと、団地の決まりごと、入れ替わり、深い事情群。そこを潜り抜けるようなこの「所縁」もだから、ロックステディ調な“団地ポップス”として優秀だなと思ったら自然と腑に落ちて、生活と音楽の比率が反転してくるような、生活に音楽が馴染んでくるような気がした。今日も庶務が終わり、まだ時間があったら、阿佐ヶ谷とは違うけど、あの洋食屋でオムライスか、学生の落書きだらけのお店でたまごやきを食べよう。それで、同じ方向で違う場所で巡り、彼らもよりどこかへと書割じゃないところへ向かうのだろう。
(2017.4.3) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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