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ミツメ
『エスパー』

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 邦楽、日本の音楽というのはエキゾチックに海外からより知られ、血肉化されてまた違う地に新たな「名前」を生むのかもしれない。もはや日本の著名な観光都市のみならず、辺境まであちこちがインバウンドというより、ほぼ異国からの旅行者の貪欲なエネルギーに渦巻きながら、「日本語を探す」ときには今はむしろ外に積極的に行ってコミュニケートした方がいいときがある。ときに、侘び寂び、情緒深い、無常観といった言葉が感覚的に「(わから)ない」民族の人たちから得られるインスパイアの分だけ、相対化して見られる閉塞感とそこを抜け出すためのロープに手が届くように。日本の内面に降りていけばいくほどにディレイするような感覚をもう先に送付して人材、知恵不足の空き地に新たな価値を見出すには仕方なく一旦、奪われ続けないといけない慣習や歴史もあるのだと思う。

 様ざまな不穏な予兆が過ぎる2018年を始めるには彼らのこの曲ほどのテンポがいい。今の音楽シーンでは圧倒的に分が悪いロック・バンドというフォーマットを自在に泳ぎながら、独自のスタンスで活動を続けるミツメにはどこか冷ややかで倦怠的な温度があって、それが今の時代におけるユースフルなしなやかさ、空虚性や無為さをなぞるなどの大雑把なラベリングや似たような意訳をされたりしていたが、私的にはそういうものではなく、あっという間に消費されてしまう分かりやすく刺激的な音楽と違ってカウンターとして、または深呼吸みたく受け入れられる滋味深い心地良い澄み方があった。シンプルで間が活きた音の中に聞こえる息吹はこの「エスパー」ではより極まってきていて、更にこれまでの彼らの曲でも断然、拓かれている。ポップというのは、もっと違う意味を巷間は付与するかもしれなくても、こういうポップネスが通じる言語がもはや日本的なという限定性ではなく他の場で、というのは既にインドネシアや中国などの場所でライヴを行ない、称賛されているのを挙げなくとも伝わると思う。

 さらにはフェスや大きいイベントに出ているバンドやアーティストばかりが総てではないこと、と、DIYで着実に活動していきながら、小さな共同体の中での価値の往来を可能にさせることは、グローバリズムの中での肥大化する資本市場主義と、また、違う個々のイズムの中で生活を分化させ再定義する一例としても面白いかもしれない。MVの枯れた風情がまたそれを寡黙に物語っていて、そんなに急がずに、大きく目立つ渦中に巻き込まれなくていいと諭してくれるようで、それがまた加速感と装飾、情報量の多さで行き詰まりそうな場から一定距離を置かせてくれる。

 でも、当たり前にそんな風でいいのではないかと思う。「意味」ばかりではなく、どこか「無為たる何か」が忘却を繰り返す人を確実に動かしてきたのはどれだけ時代が変わっても、変わらないだけに。

  ときには 君を知り過ぎたつもりなのに
  瞳の奥に 何もかもわからなくて
  名前を書いて消していた頃みたいに
  約束さえもしないまま 夜は更ける
(2018.1.8) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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