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『終着に心』

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 怒濤。怒濤です。この曲の構成がまったくわからない。Aメロとか一体どこにあるのか、サビはどこのことなのか。こんな曲を聴かされると自分がいかに固い頭で音楽に向き合っているのかということを思い知らされるようで、頭をハンマーでガツンとドガンと全力でぶっ叩かれているような気になる。そんな風なのでこれについてレビューするというのが僕の能力を超えているんじゃないかという気もするんだけれど、だからといって触れずにいるというのも逃げのような敗北のような気もするので敢えて。僕はこの曲を「会話的な音楽」という風に定義したい。普段友だちと会話しているのを録音して書き起こしてみたら、きっと日本語としての形をかなり失っていることに驚くだろう。主語があって述語があってみたいなカッチリとした構文。まるで論文を書くような正しい日本語。そんなことは会話では稀で、なぜかというとそんなにカッチリとした意識で話をしていないというのと、もうひとつは自分の話していることが全部終わらないうちに相手が割り込んで話をしてくるので、当然言い終わらないし文章としては不完全だし、それでも相手の言うことを受けつつこちらも相手の話が終わらないうちにカットインする。その連続で会話というのは成立するもので、だから会話が正しい構文の日本語で成立するなんてことはそもそも有り得ないこと。それでも友だちとの会話は楽しいし、立派な日本語で話されるエラい人の講演を聴くよりも圧倒的に楽しいわけで。だから、こういう楽曲としてのセオリーとは無関係のように思われる曲が、セオリーを無視しているから楽しくないなどと言い切れるわけが無い。だけど世の中には実験音楽というものがたくさんあって、そういうものはセオリーから逸脱することを目的としてて、専門家みたいな人が「これは素晴らしい」なんて評価している横で、理解しているように装ってなきゃダメなんだろうかと縮こまって聴かざるを得ないから、セオリーとかけ離れている音楽はつまらないんだと、口にはしないけど本心ではそう思ってるような常識が広く共通認識になっているのではなかろうか。そんな認識を持ってる人にこそ、この楽しさをただただ体感してもらえればなあと思う。何故これが楽しいのかなど理屈はわからなくても、きっと耳や身体は理解するんじゃないだろうか。素晴らしいって理解するんじゃないだろうか。
(2018.5.4) (レビュアー:大島栄二)
 


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