梶芽衣子『凛』 Next Plus SongNakanoまる『笑う女の子』

ハローモンテスキュー
『あなたと。』

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 強くないボーカルの歌。強くないという言い方は的確ではないかもしれないけれど、首に血管を浮立たせるようなシャウトとは明らかに違った、あえて弱いテイストを狙っているのではないかと思えるようなタイプの歌。こういうのを耳にすると、初音ミクなどのボカロの楽曲とどう違うのだろうかと、その差がわからなくなってくる。しかし彼らはちゃんとした人間のバンドとして愛知を拠点に活動をしていて、だからボーカロイドではない。彼らの曲はいくつかYouTubeにもアップされていて、しかし生身の彼らが映っているMVやライブ動画は見当たらない。だからこれが本当にボカロではないと断言できる材料はない。例えば「ハローハロー」という楽曲には、ボカロ版そうではない通常(?)版があって、較べて聴けばなるほどちょっと違うなというのはわかるが、じゃあこの曲がどっちなのかはよくわからない。わからないけれども、その区別を付けるのがそんなに重要なことなのかと問われたら、もはやそんなことだってどうでも良いことじゃないのかという気さえしてくる。中年以降の人たちにはほとんど馴染みがないが、ボカロという文化はもはやサブカルとは言い難い存在になっている。バンドをやればわかるが、バンドというのは生身の人間の集合なので、音楽とは違うところで衝突をするし、音楽の才はあっても人間としてダメなヤツがいればその衝突の虚しさも半端ない。かくしてせっかくイイ感じの音を出しているバンドがあっさりと解散するし、解散しなくとも我慢に我慢を重ねて続けるという、もう本当に虚しさしかない活動に陥ってしまう。そういうバンド活動の虚しさから逃れたミュージシャンがDTMに向かうのは当然の話で、ボーカルの人なら演奏を打ち込みで作って自分が歌を被せれば良いのだが、ギタリストやドラマーならば歌い手を探すかインストにするかしかない。2007年に登場した初音ミクはそういう状況を解決したし、その後バンド活動を経ずにいきなりDTMのミュージシャンもたくさん登場するようになった。それを「生歌じゃ泣きゃそれはニセモノ」なんていうのは、「メールなんてコミュニケーション手段としてはニセモノ」というに等しい古臭くて愚かなことで、だから、この曲がボカロなのか生歌なのかはもはやどうでもいいことだよなあと思う。どっちなのかなあと知りたいのは知りたいけれども、知らなくても歌や演奏が良ければそれだけで楽しめば良いんだよな。
(2018.6.11) (レビュアー:大島栄二)
 


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