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ピロカルピン
『京都』

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 タイトルに京都とあればついつい聴いてみたくなる。京都暮らしの性というものでしょうか。タイトルに街の名前を付けた曲というのはアーチスト自身にもその街に対する思い入れが必然的に溢れてきて、その街に暮らしたことのある人には「わかるわあ〜」と共感爆発なものの、その街に訪れたことさえない人にとってはまったく理解できなかったりするもの。まあそれは仕方ないことというか、マーケティング的にも全体からすると少数の熱狂的な共感を集められればOK的な思惑もあるので、結果都市名を含んだ楽曲は場末のご当地ソングを含めて日々量産されていく。少数の熱狂的な支持とはいえ人口1万人未満のどこやねんそれみたいな街を歌うよりは、昼間人口4000万の東京や、年間観光客5000万人の京都を歌った方がビジネス的にも多くの共感が得られるというもの。そもそも思い入れを持っているアーチストも多いし。京都を歌った曲というとやはり有名寺院や鴨川などの具体的地名をふんだんに散りばめたものが多くて、京都好きはそういう単語にすぐにだまされるというかふらふらと気持ちを吸い寄せられるのだけれど、このピロカルピンの『京都』にはそういった単語が無い。サラリと聴いたあとに「聴き落としたか?」と思って繰り返して聴く。だが、無い。かといってじゃあこの曲に対してだまされたという気になるかというとまったくならない。
 この曲はピロカルピンのインディーの1枚目に収録された彼らの代表曲で、京都を訪れた時の心象風景を表現したものだという。そのことを象徴するように「大切なものは目には見えないものです/だからしっかりと心に刻みます」と歌っている。秋口の京都の風景がSNSの京都コミュニティーにたくさん投稿され、紅葉の名所の目に鮮やかなもみじの赤い色が美しい。だが実際にその場所に行ってみれば紅葉の葉はそんなに赤いものではなく、カメラアプリのフィルターによって色付けされた美しさだと気付いたりする。では眼前に広がるくすみを帯びた赤い光景は美しさに欠けるのかというとそんなこともなく。ここぞとばかりにインスタ映えようとスマホを構えることの虚しさを覚えつつも、カメラを向けないで過ぎ去るほどに心が達観できているわけではない。そんな自分と見比べてみて、京都というタイトルの曲からこれだけ具象を排除した曲を作れる心持ちはすごいなとあらためて感じ入る。ひとつの境地であり、ともすれば実体の伴わない美や権威にのみイイねしてしまいそうな心持ちとは決定的に違う何かが存在しているようだ。その達観ぶりをインディーズ初期から放っていたピロカルピンが、15周年の昨年クラウドファンディングによって資金を得てこの初期名作を新たにレコーディングし、MVを初めて制作したのがこれ。冒頭のフレーズで松木の独特の節回しと高音の伸びが、ああ、ピロカルピンだなあと思わせる。
(2019.1.1) (レビュアー:大島栄二)
 


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