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マイアミパーティ
『つれづれ』

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 聴いた瞬間に、声がいいな、と感じた。よくよく聴き返せばこれをいい声だと断言した理由が何なのかよくわからなくなってくるのだが、声楽の人のような澄んだ声とは対極にあるような歌声なのだが、でも直感でいい声だなと思ったし、理由がよくわからなくなった今でもいい声だと断言できる気持ちに変わりはない。しかし理由がわからないではただの素人の投げやりな感想に過ぎない。まあ音楽を好きであることに玄人も素人も無いし、その声を好きであることに理由付けなど本来必要ないのであって、だから理由を探る必要もまったくないのだが、それはそれ、一応ずっとレビューやってて、その前から音楽業界にいる者としてのプライドというか存在理由の証明というか、いくらなんでも「理由がよくわからない」のままで済ませてていいのかという想いもあるので、ちょっと考えてみる。正解かどうかはよくわからないけれども。
 声楽的な美しさはまったく無いけれど、エッジが立ってる。そのせいで歌詞がクッキリと聴こえてくる。ロック歌唱において歌詞が聴き取れるということは最上位の価値ではないのだけれど、聴こえないよりは聴こえた方がいいし、聴き取れることでファンはその表現世界により深く入り込んでいき易くなる。それをより実現し易い声であることは間違いない。歌詞が聴き取り易くするにはボーカルの質や力量以外にもミックス時の調整というポイントもあるわけだが、それを考える中で楽器の音を調整したり音圧を下げたりすることになる。もちろんそれはどんなレコーディングにも必要なのだが、声にエッジが足りなければそういう調整をする程度がより大きくなってくるし、その結果バンドの持っているパンチ力を失っていく結果にもなる。場合によってはロックバンドなのに「歌手と伴奏」みたいな仕上がりになってしまったりする。歌手と伴奏が絶対悪だとまでは言わないけれど、ボーカルもギターもベースもドラムも同格のメンバーである以上ボーカルのためにラウドな演奏を控えるというのは哀しいことであって、だからといってメンバーのラウドさを尊重するあまりにリスナーにとって歌詞不明というのもまた別の種類の哀しいことであって。そういうことで、やはりエッジの利いた歌声はロックボーカルにとって重要な要素であり、マイアミパーティのボーカルは、やはりいい声だなと断言するに値するのだ。そんなことを読んでみた上でこの曲を聴いてみると、楽器のサウンドが遠慮などすることなくバンバン鳴らしているのがよくわかる。いい声は、サウンド全体を自由にする。その好例だなあとあらためて実感できる。
(2019.1.15) (レビュアー:大島栄二)
 


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