Leonardo Marques『The Girl From Bainema』 Next Plus Songカリオンズ『黄昏る』

ゲスの極み乙女。
『だけど僕は』

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 あの騒動以来叩かれて、一方の当事者が公に謝罪を要求されて干されているのに音楽活動を淡々とするのはどうなのかという批判に晒され。あれはいつの出来事だったのだろうか、単に過去の話というだけになってしまった。その騒動についての是非を問うのは別の人と別の場所に委ねるとして、批判を受けた場合に、仮にその批判が至極真っ当で批判されている側には反論の余地など一切無かったとしよう。ではどこまでの謝罪や罪滅ぼしをすれば良いのかはけっこう難しい。ゲス乙についていえることは、辞めなくて良かったよなあということ。いや、騒動の是非とは関係なく、善悪とか正義不正義とかの話ではなく、辞めたら終わり。だから辞めなくて良かったよなあと。
 知人が明らかに調子に乗って、やり過ぎてチョンボをして。それが明るみになって攻撃された時に、絶望の底に沈んでいた。そりゃあやったことは悪いけど、責任は取った方がいいけど、だからといって周囲もそんなに叩かなくたっていいじゃんと。叩く側は正義の炎に燃え盛っているのだろうけれど、その善が不正に対してのみ力を発揮するのではなくて、不正の程度を超えた是正を要求しはじめるとその善こそが悪にもなりうるし、叩く理由が善ではなく娯楽だったとしたら、それこそが悪になる可能性も十分にある訳で。
 この曲の歌詞を眺めているととても面白い。「言いたい事はわかるけど、わかったらもう終わりさ」という部分に精神の防御の仕方を垣間見る。周囲の叩きや説得には理があって、そりゃあ十分に正義もあるわけで、だけどそれを認めたら虫けらの五分の魂さえ消え去ってしまう。つまり、自分が自分ではいられなくなる。だから、多く寄せられる正論を全て無視していくことは、それのみが自分を保っていくためには必要なことなのだ。見ざる言わざる聞かざる。聞こえないフリをする。聞こえてるんだけれどね、聞こえないフリ。
 ゲス乙の音楽について、その初期からそんなに好きだと思ったことは無い。本当に一度もない。この曲についても、音楽として評価をしているわけではない。でも、ああいうことがあって、離れていった人もあるだろうけれど、メンバーがちゃんと結束して活動を続けて、そういう基盤を確認した上で進んでいく創作活動というのはどうなんだろうかという点には興味があったし、この曲には、彼らの意地のようなものを感じられてとても面白かった。
(2019.2.16) (レビュアー:大島栄二)
 


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