米津玄師
 
『Flamingo』
 「Flamingo」が場末の商店街に流れているときや、MVの不気味さや、CMで聴くとき、米津玄師というアーティストの所在なさ、変わらなさにこそ頼もしさをおぼえる。深読みしてもいい、いい曲だからいい、カラオケで歌いやすいからいい、それらだけでは回収できない不可解な雑味が彼にはある。その雑味がこれだけ多くの人に愛でられていることは満更、悪くないのではないかと思う。例えば、サザンなどもこういう和の言葉で戯れていたのもあるわけで、何が……
 
  (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))  

 
『LEMON』
 米津玄師は何でこうなってしまったのだろう。
 ハチにも戻れず、“米津玄師そのもの”を模造化しないと許されないという社会的要請がこうさせたというならば、日本でゴスペルが宗教的な意味以外でもシビアという文脈で、歌謡曲が人心をふるわす証左ということを何度目かの、いやそれ以上の歴史的な反転で標本化しないといけないような気がして、この暗さの中で目を凝らすには相当の気力や知力が要るような、でも、一話完結型のドラマではなく、人生はだらだらと……
 
  (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))  

 
『Flowerwall』
 “ハチ”名義のボカロ曲での人気、膨大な再生数といった冠詞と、多数の大きなメディアで取り上げられ、満を持して、本名として活動を始めたときには、彼の持つ特有のヴィジュアル・センスやポップネス、どこかジャンクで退廃的なところまで精巧がゆえに、距離を持っていたところがあった。ただ、ストリングスが大胆に取り入れられた2013年のシングル「サンタマリア」辺りで、個人的に表現者としての危うさを感じつつ、魅かれる余白もあったのは否めない。詳らかに深く……
 
  (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))