オトワラシ『バダリア999』 Next Plus SongAM & Shawn Lee『Nightshine』

マカロニえんぴつ
『鳴らせ』

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 フランスの哲学者ロラン・バルトは1980年の『明るい部屋』で、写真と視覚論に触れ、主体性の記号人称における認証と撤回の反位の中で、“かつて”を切り取り、写真の中に何らかの喪に服す形式を見出すかのような試みを行なったといえるが、最近の音楽は記号的に、誰かたる主体がぽつりと客体を捉えている構図が浮かぶものが多く見受けられ、それは現代における“写真という、かつてたる実像“がインフレ気味であるがゆえに、不特定少数にでも追認するために記号性として設置されないと、発見さえ、されないのかもしれない危惧と結びついている感覚をおぼえることがある。都内を中心に着実に注視を集めつつある気鋭のロック・バンドたるマカロニえんぴつの、この「鳴らせ」もとてもソリッドなロックンロールで鋭角的なバンド・アンサンブルも美しく、現代のユースらしい焦燥的な感情や虚無性を振り切るような言葉群も真摯に奏でられる。ただ、MV内では、基本、ボーカル、ギターのはっとりと、「近すぎる」くらいの距離で女性だけが在る。その”近さ“やアングルの過剰さがゆえに、ファニーなバンド名と相反して、彼らのレゾンデートルの危うい儚さが際立つ様なイロニーが彩られるようでもある。時代が変わろうが、表現の様式は移ろいゆこうが、世代間、情報、環境格差のような背中合わせのままでも、届く声の飛距離は変わらない場合もまだまだある。これからの、かつて、をどう未来に刷新してゆくのか、楽しみなバンドのひとつだと思う。~みたい、~と似ている、なんてもはや無意味に近いアフォリズムで、音と感情の速度と距離感がどこまで切実かどうかなのかの瀬だけに、この近さがどこまで、遠くより孤独な多くの他者を求めるのか、気になる。
(2015.11.3) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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