MARQUEE BEACH CLUB『eye』 Next Plus SongAlex Cameron『She's Mine』

Tempalay
『LOVE MY CAR』

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 なんだろうこののんびりムードは。必死さがカケラも感じられない。だからとても良い。常々、日本の音楽は必死すぎるよなと感じていて、ただのポップでありつつも見ててホントに必死。その必死さが感動を呼ぶというのも否定しないし、むしろ感動話を集めているんじゃないかと思われるユーザー、リスナーは意外と多かったりする。だから表現者がそれに応じる形で必死な表現をするのはけっして悪いことじゃないんだけれども、それにしても必死すぎるんじゃないだろうか。水鳥が優雅に泳ぐ水面下で必死に水かきを動かしているように、たとえ本当は必死な活動だとしても見せる部分聴かせる部分ではその必死さを感じさせないようにしてくれないものかと思うのだが、逆に必死さを求める人もいるせいか、多くの表現者が意図的であるかのように必死さをアピールしたりする。で、このバンド。いい加減というか適当というか、まったく肩に力が入ってないように聴こえて、和む。もちろん楽器を練習してみんなで合わせて演奏するのは完全にだらけていてはできないのであって、そこそこの意志と情熱が込められているのは間違いないのだが、その演奏に向かう姿勢に、必死さが無いのではないだろうか。例えて言うならば仕事が終わって仲間と居酒屋に行き、ワイワイと酒を楽しむという場合に「努力」があるのかというとそうではないように、彼らがスタジオに行って楽器を鳴らすのを「練習」といえば練習なのだろうが、まるで居酒屋で集うように楽しい時間を共有しにいっているような。だから「練習」は鬼コーチのいる部活のようなものではなくて、仲間との居酒屋の延長線のようなものなのではないだろうか。そういう楽しみの音楽を「もっと真剣にやれ」という向きもこの国には少なくないように常日頃感じてはいるけれど、やっぱり楽しみながら音を鳴らしている人たちの音楽にはかなわないよなと思うのだ。だからこういう音楽は、仕事に向かう電車の中でiPod的なものにイヤホンをつないで視線を足元に落としながら聴くのではなく、ビデオにあるような暖かい浜辺的な脱力できる環境で、チープなラジカセ的スピーカーを鳴らして聴くのがベストだろうなとか思ったりする。
(2016.10.11) (レビュアー:大島栄二)
 


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