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HALFBY
『Slow Banana』

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 今、地球上には約70億もの人が居て、7,000種ほどはあるとされる単一、また複数の言語を使ってコミュニケーションをはかっている。しかし、言語学者たちはデータの不正確さを認めながらも、今世紀の終わりまでに世界の言語の50パーセントがせいぜい文書や録音でしか存在しなくなるかもしれないともいう(※参考 WIRED.Jp A Loss For Words たったひとりの言葉 )。振り返れば、Googleが絶滅危惧言語のプロジェクトを始めた2012年に話題になっていたのでおぼえている人も多いと思う。

 言語は大雑把でも伝わるが、本当に機微が難しい。例えば、中国語(普通話)は基本、四声というアクセント重視で話す。だから、何か賑やかしく聞こえるものの、高度まで行かずとも、習得するにはそこまでのハードルの高さはなく、文法や語句は平易だったりする。英語でも言い回し、訛りまで入れると、細部は厄介だが、多少の話法としてグローバル・スタンダードになるのは止むを得ない平易さがある。そうなると、日本語は「てにをは」から始まり、言葉の豊富さや言い回しや含みが多く、今は日本内でも誤配を生む言い回しも多くなってきている。「気の置けない」や「情けは人の為ならず」なんて例はもう説明を入れずとも。

 そして、侘び寂び、あわれ、無常などの辺りまでの言葉のニュアンスを異言語変換する行為になってくると「方丈記」の訳書を読んでほしい、みたくなってしまう。

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 この詩はどういうことを歌っているのか、と異国の方に聞かれたときに困るのはこの曲のような機微だったりする。散文的で叙情的で、でも、美しい行間の中から意味が零れる甘美さは日本語ゆえの曖昧さだから、響いてくる。「みっともなくふざけ合ってみても 麻酔が切れれば 痛みはまたよみがえる」、「溶けてゆく美しい時も 真夜中過ぎれば 色褪せて 化石になる」などのフレーズの狭間に恋情のような何かが揺れながら、鋭利な刹那さもある。ただ、MVはクールでどんなところからどんな人が見ても興味深いと思う。真夜中、光彩、Alfred Beach Sandalの北里彰久の歌う姿と模写的なハワイアンの映像のカットイン、果物のどこか艶美さに至るまで。さらに、曲自体は北里氏の甘い歌声と、HALFBYのビートメイク、音色は優しく伝わってくる。そもそもは、2015年にリリースされたHALFBYの『INNN HAWAII』からの一曲で、そのアルバムも“ハワイ”をテーマにしながら、偶さかのハワイ旅行のムードにインスパイアされて、内部への降下と、イマジネーションのしなやかさが美しい内容だった。

 どこかに行った“気分に浸る”のと、どこかに実際に行ってからの“情感から想い出を巻き戻す”行為の差異の連続・非連続性の断絶内で、冒頭から触れたような「言語」と呼ばれるコミュニケーション手段はじわじわと本意が蒸発してゆく過程にあるのかもしれない。だからといって、多様な言語を用いて「説明できない」、「通じ合えない」ことが当たり前になっていったとしても、刻々と一つ、またひとつ世界から稀少な言語が消えていったとしても、それは時代の趨勢だと諦めているという訳じゃなく。世界地図を見直して、文化横断的に交叉する中で息を吹き返す言語もだからこそ、在るのではないか、ということ、ミクロな個々が内部へ降りてゆくプロセスで、マクロな外部とまた再接続し直せるのではないか、ということ。そう信じるだけで、言語はまたスロウダウンしてゆくのでは、と思うときがある。

   甘い香りで いっそすぐに殺して
   私の知らない言葉で そっと囁いて

 囁かれた知らない言葉の甘い香りから蘇生する様態をささやかに夢想し、未来はまだまだ遍く人たちの発語を待っていると願いながら。
(2017.1.13) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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