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Fkj
『Skyline』

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 動物行動学者のコンラッド・ローレンツ『鏡の鏡面』を或る契機で読み返していて、人間という生物を鏡に映したときに見えないだろう背後についての考察をすすめたもので、端的に、今、その背後にさえ別の主体が影響しているようで、実のところ、主観とは何かへの接近するときには見聞きし、感じ得たり、反応しようとするときに、その形態がどのような動性を持っているのかということを知ることと、その瞬時の生物学的な欲動を知ることを、”同時に認知することはできない“、と記されている。いや、絵画を観ながらイヤホンでアナウンス聞きながら、五感で感じていることもできるよ、という人はいても、何かに深く視ているときにはそれよりも自身の眼球の動きに気がつかないだろうし、深く考えているときには時計の音さえ忘れたりする、そういうこととしての同時的認知の問題として。

 ローレンツの考察は、多少は複雑なのだが、長期的エソロジーの成果の観点から「システム特性」というものを俎上にあげてみて、そのシステム特性において、装置にもいつしか新たな特性が備わるのだろうか、という。情報が多すぎるこの今における装置性を考えるときの孫引きとして読むには丁度よくこの書を読みながら主体認知の閾値を思うとこういうFKJの音楽が自身に沿ったのも不思議だった。

               ***

 こういう濃霧の中に埋もれてしまうようなメロウな音楽と居るときは何を思っていたかというか、微睡むでもなく、休むでもなく、むしろ深刻さを増す状相の深奥への思考の整理だったりする。鏡面に映らない背中を考えるような。『Skyline』も今年は本当によく聴き、MVでのナイト・サイクリング、光景の質感、ムードや、最後の終わり方までクールだと思ったひとつだった。フランス出身の気鋭で、既にあちこちで注視を浴び、他の曲にも多彩で既に話題になっているものが多いが、この『Skyline』には自分自身の背中を自分では(どうしても)観ることができない、観ることができたとしても、それは視ているということにならない、ポスト・トゥルースの時代における生物態としての自然な感覚を示してくれるような気がして何度も繰り返し発見があった。優艶な彼の声に柔らかでどこか子守唄のようなエレクトロニクス、遅すぎない、緩やかなテンポとグルーヴ。

 もはや目的地も過程、勿論、終わりもなく、続く音楽、それが響いているだけの空気のナイーヴな揺れの中に埋もれてしまえばいいときもある。

    I feel it inside
    I wanna reach that
        (『Skyline』)
(2017.9.18) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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