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民謡クルセイダーズ
『会津磐梯山』

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 縁があって、マレーシアの方々と会う機会が多く、彼らは挨拶代わりに「Sudah Makan?」と言い、要は「ご飯食べたの?」ということで、食べてないなら一緒に行こうよ、とか、食べていてもお茶くらいでも、となる。多民族国家を繋ぐ言葉はちゃんぽんのような英語だけれども、しっかり意味は分かる。意味が分かれば、あとは胃袋の具合で日々を、ということなのかもしれない。それでも、時代の変化で形骸化したそれだけが残り、また別次元では更新されていっている。余談ついでにマレーシアのマラッカという港湾都市にはポルトガル・スクエアがある。昔、ポルトガルの植民地だった関係もあり、その末裔が住む場所で独特の活気がありながらシーフードをはじめ、ポルトガル語も通じるが、今やじわじわと時代の変遷の中でそこも不思議な寂寥が漂うようになっていきながら、世代交代も確実に進んでいる。

 ご飯は食べたの?と気軽な挨拶はすたれずとも、その食べるご飯の内容が以前と変わるように、伝統を今風にアレンジメントして昇華させる試みは増えながら、後継者や人材などだけの問題ではなく、今の世に必要とされるのかどうかの二極化も激しい。民謡クルセイダーズのような姿はだからこそ頼もしく映る。日本民謡とアフロ・ビート、クンビア、ブーガルー等などとのグルーヴィーな対話の下で、境界線を越えて、老若男女、異境の方々から子供まで踊ることができる心地良さ。そして、元々の民謡をもし知らなくても、彼らを通じてひとつの契機として知ること、知る愉しみを教えてくれるようなこういった音楽の方法論があれば、伝統はついえず、後世に続いてゆくのだと思う。

 頑なな歴史への意地や堅守の姿勢も大事かもしれないが、今は今なりの伝統への距離感と遊び方があっても、もっといい。
(2017.11.27) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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