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Jóhann Jóhannsson
『Flight From The City』

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 例えば、「難死」とは小田実氏の造語だが、字義の意味合いとしては、そこにあまりに悲惨な死に方があるということ。そして、その死がまったくの無意味な死であること、第三にはその死は一方的なものによって突然にもたらされたということで、死の種類やあり方如何より、どうもこの昨今は誰かにとって忘れるには速い死が多すぎるのを想い、その「難死」さえも瞬時にどこかの誰かが喪に服して「しまう」。以前、「死に忘れた」と生きている方が病院で笑って話をしてくれて、「悲しくはないのですか」と問うても、「悲しんでも、自分はまだ生きているのだから」みたいになり、改めて生死とは二分化でない不明瞭な概念だと思う。

 先ごろ、若くして亡くなったアイスランド出身の作曲家ヨハン・ヨハンソンは現代音楽家の旗手として、または、ポスト・クラシカルと呼ばれる潮流の中でも秀でた存在で、多くの美しい音楽、映画音楽、実験的な作品を残し、これからもよりどういった音楽を創り続けるのかが愉しみな存在だった。訃報のあとに、茫漠と彼の作品群を聴き直していると、連続性と非連続性の間断でロボットが膨大な量をどんどん記憶して情報として処理し、そのアクセスを即座に対してゆくのに対し、人間という器はすぐにこぼれてしまうし、エピソードがないと記憶を引っ張り出すにも難渋する対比がどうとかのありふれた記事を想い出し、ただ、その不便な記憶の川の流れの中でこそロボットは溺れても、人間は川の中の記憶に揺れていられるような気もして、この曲を聴いていると、まさにそれを夢想した。

 優雅な旋律の中に密かな雑音と、ピアノが柔らかく彼岸に連れていってくれる2016年の『オルフェ』からのもので、『オルフェ』という作品そのものが長年の熟成と時を俟ち、神秘的な示唆を持った内容かつ美麗で彼の思考哲学をより深めていたものだっただけに、向き合うと、彼の内なる声に触れられそうな錯覚にも陥る。ヨハン自身、『オルフェ』では“コクトーへのオマージュと、私が新しく住み始めた街へのオマージュとして、数字や文字や暗号文の朗読からなる「乱数放送」の不思議な録音を音楽に加えることにした。”と記していたが、乱数放送から彼の音楽はずっとこれからも流れ続け、多くの人たちが解読を試み、聴き続けるのだろうと願う。
(2018.3.6) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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