くるり『温泉』 Next Plus Song灰色ロジック『モーニング』

遠藤理子
『午前3時』

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 仙台に拠点を置く17歳の遠藤理子の歌は、何故こんなにも刺々しいのか。歌詞の言葉ひとつひとつがネガティブで、ネガティブが重ねられた世界はなぜか清々しい。それはそこに嘘が無いからだ。誰もが日々の美しい画像を切り取ろうとスマホ片手に必至で、インスタ映えと言っては友人に披露する。その嘘を重ねた写真群は確かに美しいが、その美しさに一部の人は心を病む。病ませる美しいエッセンス。遠藤の歌はおそらくそれと対極にあり、この言葉を写真にしてインスタに上げればきっと清々しいだろう。美しくはない清々しさ。17歳の平均的女子は汚いものを表に出そうとしない。だが汚いものが具体的にも心理的にも無いはずはなくて、それを抱えて隠しながら笑顔でみんな生きている。その平均的な生き方に対して、遠藤の歌はあからさまで、矛盾に真正面からぶつかっている様がありありとしていて、それが清々しく映るのではないだろうか。ギターを弾いている毛玉だらけのベッド。たとえそれが毛玉だらけだとしてもそんなことを歌詞にしなくてもいいじゃないか。そう思う。では、それを歌詞にしなければ、結局インスタ映え的な虚構を歌うことになるだけなのではないか。そうして彼女は内面を具象に託しながら歌っている。こういう若者特有の悩みを歌っているシンガーはいつの時代にも現れる。その歌が若者故に感じられる正義や矛盾に立脚している以上、キャリアを積む中で歳を重ね、拒絶していたはずの大人になる過程でその刃のエッヂが鈍ってくる。それに抗することができるのか、抗することで実体の大人と乖離した存在になってしまうことからどうやって逃れていくのか。難しいことはこれから彼女にも迫ってくるだろう。その中での抗いを眺めて応援するもよし。それまでの間のピュアさだけに心を寄せるもよし。音楽は表現する者を試すばかりではなく聴く者の心をも試すことがあると、きっと遠藤理子のこれからの数年は教えてくれるだろう。
(2018.3.12) (レビュアー:大島栄二)
 


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