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米津玄師
『Flamingo』

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 遊女に誑かされた一人のか細き青年が足を引き摺りながら、地下を巡る。様々な解釈はすでになされている意味ありげなMVで、それは個々で考察してもらった方がいいが、私的には吉行淳之介な風趣と阿部公房のひずみを感じたりもした。澄み切った闇に滞る情念の澱。

 韻を重視し、日本語の機微を活かした酔い揺れる歌声。今では日本ではトップ・アーティストとしてアイコンと言っても過言ではない米津玄師の「Flamingo」。

 思えば、流麗なメロディー、壮大な展開、歌謡曲に近い馴染みの良さ、松任谷由実、中島みゆき辺りの情念の再解釈、さらにタイアップも大きかったにしろ、2018年を彩ったメメント・モリな「Lemon」で日本の内部における悲愴、レクイエムを多くの人たちに届けたがゆえに、シュリンクする島国の因果の文化の往来、閉鎖性も考えさせることになった。自在に、音は外在化する。外在化した音はピン止めされて、繰り返し、再生・反復される。色褪せるには内部機制が上がった世に、再発見の、再訴求、知っている人たちのアディクトで神話化のような軌道ができる。基本はメディア、テレビという舞台にはほぼ出ない彼は今回、昨年末の紅白歌合戦で徳島から「Lemon」を歌った。YouTube配信、ライヴなどは制御しながら、元来は亡き祖父に向けてのものだという「Lemon」は演出面含めて話題になった。年が明けての今、まだまだ彼を巡る磁場はヒートアップしている。

 しかしながら、自身としては「Flamingo」が場末の商店街に流れているときや、MVの不気味さや、CMで聴くとき、米津玄師というアーティストの所在なさ、変わらなさにこそ頼もしさをおぼえる。深読みしてもいい、いい曲だからいい、カラオケで歌いやすいからいい、それらだけでは回収できない不可解な雑味が彼にはある。その雑味がこれだけ多くの人に愛でられていることは満更、悪くないのではないかと思う。例えば、サザンなどもこういう和の言葉で戯れていたのもあるわけで、何が新しい、どれが間違っているの即座の判断は留保しておいて、サーカズムとは紙一重のアートたるモーションの先に、そんなに浮かれた現実が待っているわけではないことを心身の内部に嚥下しているからで、あえての暗渠の敗者を名乗らなくても、この時代を生きることは、個々にどうしても狂おしいあらゆる負性をかかえざるを得ない。

 ロック・スターも二日酔いで「クランベリーとパンケーキ」でへべれけにステップを踏み、それを視たオーディエンスはまた、喝采をあげる。矛盾が地下室の共通言語にこもるように。
 最後に余談だが、動物としてのフラミンゴは存外、暢気なものだ。鳥羽水族館で観たフラミンゴは非常に愛らしかった。そして、広い空や博愛性に繋がっている。象徴としてのフラミンゴから始まる、幸福な明るみもあるような気がする。
(2019.2.9) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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