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ぼくのりりっくのぼうよみ『after that』【これからを生きるための人たちが乗ることができる舟を】

ハロウィーン効果がバレンタインを上回ったとか恵方巻が全国に浸透しているとか、昔とハレの場が減った分だけ、公的に、商業的にそれを設定していると捉えるか、遊び場は実はどこにでもあって、その愉しむ導線が増えたと捉えるか、とは野暮だと想っている。その中でも、特に、クリスマスは宗教性など抜きにサンタクロースはあちこちに居て欲しいと今も進行形で強く想い続けている。その前後だけ遠い誰かを喪に服したり、家族を想ったり、休戦したり、願いを空に託したり、ランチがクリスマス仕様になったり、街がイルミネーションで溢れて、恋人が居ても居なくてもワクワクする感じ、でも、いざクリスマスになったら、まつりのあとに途端になる感じまで含めて、麗しい。

そして、毎年の山下達郎やジョン・レノンも安心するし、その年のシーズンズ・グリーティングみたいにクリスマス・ソングがそれに花を添えるという意味では今年は、この雰囲気かもしれない。どんどん拓けてきている、ぼくのりりっくのぼうよみの年明けにリリースされる、タイトル名から如何にもな『Noah’s Ark』からのリード・ソング。しかも、コンセプト・アルバムの最後を締める曲。18歳の青年が急速度でユーフォリアの新たな形を再定義してゆく頼もしさと、変わらず喋るように捲し立てられる歌詞と、作曲にNicola Conteの名があり、やはりヨーロピアン・ジャズの香りがどこか漂い、煌めいていて、その瞬間だけ切り取る訳じゃない緻密な数式のように、ただ、どこか以前よりリアリティに足を着けた上でのファンタジーまでの飛距離を伺っているのがわかる。これは、どんな世代が聴いてもポジティヴなヴァイヴに魅せられるのでは、と思う。しかも、あくまでアルバムの氷山の一角で、当該アルバムには多様な音楽や言葉、テーマが渦巻いているための前哨なのだから。

  After the Flood,we are gonna start it again now
  ぼくらの あの世界は壊れてしまったけど
  We’ve done lost,and we can find it again now
  やり直せるなんて知らなかったんだ

どこかしら当世的なデカダンで「ぼく」という主体をベースに現代の膨大な情報量の中心を高速度でぐるぐる廻っていたような節があったところから、「ぼく“ら”」までの飛躍の心地良さ、また、あの世界/やり直せる、というフレーズまで、救いや聖書をテーマにしたアルバム内容までの見事な知性の翻訳手腕には唸らされる。

           ***

私的に、世代は全く離れているが、この曲を聴いて、最近、出版された村上龍氏のエッセイ集のタイトルが『星に願いを、いつでも夢を』だったのを思い出した。常に好戦的に時代に歯向かってきた著者のいわゆる、人気エッセイ『すべての男は消耗品である。』シリーズに当たるのだが、以前がVol.だけを付けていたのと比して、最近は題名が何らかの象徴になっている。前作は『ラストワルツ』だった。ロック・ファンならすぐに想い浮かぶだろう例のザ・バンドの伝説的なラスト・ライヴを含んだ一連のこと。そして、彼の老いもあるのだが、筆致も取り扱うテーマも変わってきており、時おり諦念のような何かもちらつく。友人の死、愛犬の死といった近しいものから、倦怠と世の中のどうしようないマクロな奔流に為す術のない情感も披瀝してみせる。同著から、ひとつ引用しておきたい。

生き方を変える、あるいは生き方が変わってしまう可能性を垣間見ることができる本はそれほど多くない。たいていは暇つぶし、時間つぶしに使われるだけだ。 冬の夜長、あるいは夏の宵に、充足したいい時間を過ごし、人生を豊かにしてくれる読書、ということではない。それこそ、時間つぶしだ。ある種の小説は、人生を豊かにしたりしない。揺さぶられて、違和感を覚えたり、不安に陥ったりする。生き方を変えなくていいのかと迫ってくる。だが最後には「死んではいけない、何とかして生き延びるべきだ」と、優しく諭してくれる。 (『星に願いを、いつでも夢を』p.60より)

現代の心理療法においてナラティヴセラピーというのが有効的に用いられることがある。「対話」を通じて、これまでの人生の再構築してみること。認知のひずみを矯正することで、新たな認知をもたらせること。また、ビジネスの面でもストーリーとして競争戦略や商品戦略を創り出す流れが出ている。もはや漠然と“それがそれ”をしていても「分からない(分けることができない)」わけだ。それこそ、最近でも問題になったキューレーティング・メディアのミスリードで別の定義のままにそれが、あれになってしまう杞憂は出てしまう。纏められる散文的な羅列はあくまで、散文でしかなく、丁寧な物語が要るときが多い。脊髄反射のように好悪で嚥下するのはおそらく、嚥下できた感覚を上回る反動も及ぼす。

そういうところにも十二分に聡明な彼がクラウドファンディングで、期間限定でウェブ・メディアの展開費用を求めるための意図や文章も怜悧で、氾濫する情報の中で自分の知恵を、という所がまさにこれからどんどん世の中的にも重要になるだけに、あえての“ノアの箱舟”に彼はとても前向きに対峙していこうとしている。

何にでも諦めている場合じゃない。「やり直せる」なんて知らなかっただけで。“アフターザット”、その後、からまた新たな視界の束が打ち寄せ、これからを生きるための人たちが乗ることができる舟を創り出すのかもしれない。

(2016.12.23) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))


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