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緑黄色社会『またね』【アイデンティティ確立のための見事な舵切りと打ち出し】

焦点を絞るというのは意外に難しい。バンドメンバーが4人いれば4つの個性も価値観も自己主張もあるわけで、それを交通整理して誰かの欲求を抑えてまで誰かを前に前にと押し出すよりは、1/4ずつの想いをちょっとずつ小出しに民主的に作品を作った方が楽だし楽しい。だがそれはスタジオの中だけの身内にとっての楽であって、音楽を共有するはずの聴衆にとっての楽しさではない。

この緑黄色社会というバンドはかつてバンドメンバーが全員映った白黒のビデオを数曲アップしていた。それが今の礎になっているのだろうとは思うが、今見なおすと焦点が定まっていない。バンドがバンドとして仲良く進んでいこうという時代の表現だったのだろう。だが昨年12月に公開されたこの曲ではボーカルの長屋晴子がただただ歌うシーンが流れる。ライブではギターを弾く彼女がMVではギターを持つことさえなく歌って、ポーズをとる。そこを焦点にすることに決めたのだろう。歌詞の内容も男性に気に入ってもらいたいという女性の気持ちを歌っていて、ある意味、男性に媚びる的なスタンスを強く出している。ロックポップのバンドが女性ボーカルだけにフォーカスを当てて、なおかつ男性に媚びる的なスタンスの表現をするということについて良く思わない人はきっと多いと思う。では、そういう「よく思わない人が多いと思われる表現」を避ければいいのか。そうじゃないだろう。誰かがよく思わないかもしれない表現は、逆から見れば「誰かは熱烈に良く思う表現」でもある。当然批判もついてまわる。だからそういう表現に舵を切るというのはリスクもある。メンバー自身がそれに付いていけないというリスクだってある。それでも、自分たちのアイデンティティを明確にするためには、そして一部の熱狂的なファンを獲得してビジネスをそして自分たちの活動を成立させるためには、必要な舵切りなのだと思う。長屋晴子のルックスは平均レベルをかなり超えたものであるとはいえ、アイドルたちの中に混ぜれば絶対優位というものでもない。女性ボーカルのロックバンドも乱立している昨今では、自分たちの個性をどういう形であれ強く打ち出すことが要求されるし、そういう中でこういう打ち出しは勇気あるなと思う。このMVではメンバーたちがちょっとだけ映っているが、2日前に公開された新MV『Bitter』ではそれさえ無くなっている。実に見事な舵切りだ。整理することで何かを切り捨てた表現は明快で心地良い。今後はこの舵切りによってファンを獲得していくスピードと、メンバーがこの方針に疑問を持ってしまうまでの時間的猶予との争いになってくるのではないかと思うが、是非とも頑張って大成功してもらいたいものだ。

(2017.1.12) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二, 緑黄色社会

Posted by musipl