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しんきろうのまち『エンドロール』【丁度、新たな季節が始まるときに寄り添ってくれるのでは】

昔、八百屋の友人が居て、八百屋といえども、今でいうコンビニみたいではなく、何だか、金具が置いてあったり、西瓜が雑然と、という感じで、でも、そういう風に“歯抜け”たものに生活を感じていて、買い物客に混じってよく遊びに行っていた。また、空き地があれば、ある日、小さな鉄板焼き屋ができていたことなんて珍しくなく、今では即アウトなものも多かったのを想い出すことがある。余談で、大阪の天王寺公園の近くに昼間からお酒飲んでカラオケを歌って、マットの上に適当な値札をつけた雑貨を売っている人たちの通りがあって、そこを抜けると、美術館があって、通天閣がある新世界に行くのは何だかヒヤヒヤした愉しさがあったなんてことを振り返ってみて、でも、もうずいぶん前からそこはとても“綺麗な道”になった。要は、排除された。ぜんぶ、どこかの話。

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彼らを聴いたとき、密やかに皮膚の下でざわっとするような五感の痛点をあたってくるような感じをおぼえた。新しいのに懐かしい、なんて言いふらされた言葉で、彼らにもはっぴぃえんど、スピッツ、サニーデイ・サービス系譜の良質な日本語ロック・バンドとしての色気をもちろん感じるものの、でも、どこか今の時代の空気感に膝を抱える、破綻寸前の脆さがかいま見えるのがとてもいい。スズキヨウスケの投げやりな甘美なボーカルがより情緒を倍加させ、このMVも観ていて、演奏シーンで思わずせつなくなってしまった。ここまでしないと、どこにも行けないこと。どこにも行けないことを知ったならば、とりあえず「明るい場所」に行きたくなること。「どこか」なんてなく、排除されてしまう現実は真綿で首を絞めるように何気なくあちらこちらに増えてくる。

そういったことも含めて、今は今なりの音楽の響き方は勿論あって、街の風景のなか、小さなスタジオでのいつものように演奏し、談笑し、笑い合うシーンまでがほんの瞬間のために費やされるいとおしさを想う。音が鳴り、じわじわと空気を振動させ、状景にまで結びつく当然に気づくことの手間の大切さと。安心して、不安のままにそれぞれの想い出と今を引き連れて歩けば、徒労なんてなく、意味のあることばかりが重要じゃないのと同じくして、丁度、新たな季節が始まるときに寄り添ってくれるのでは、と。ここにある音楽として。

(2017.4.10) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))


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review, 松浦達

Posted by musipl