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s-o-a『正しい生活』【最大公約の正しい生活と、少しだけ異質な楽しげな生活】

正しい生活ってなんだろうか。最近読んだ小説では「正しさ」を強く求める母親のプレッシャーが主人公2人をそれぞれに追いつめた。人が人として生きていく上で、正しい生き方ができればいいなとみんな思っているのだけれど、その「正しい生き方」というのは人によって違ってて。だが時として最大公約数的な「正しい」「正しさ」というものがあって、その平均的な模範を美徳として信じて疑わない人がいる。もちろんそれを美徳として絶対視する自由は誰にもあるのだけれど、その自由が担保されるのは、それを絶対視しない人だっているということを同時に認めることが前提であるはず。しかしながら「みんなそういってるから」とか「いや、当たり前でしょそんなの」とか、時として最大公約の人はそれ以外の少数派の「正しさ」を排除する傾向にある。それが、最大公約に収まらない人たちの心を追いつめる。

難しいのは、「正しい」という言葉そのものの意味にあるのであって、「正しい」を追い求めるということは、「誤り」を排除することを指す以上、その排他性は永遠に無くならないのかもしれない。それが大多数の声として形成されてしまったらなかなか抗えなくなる。ダイバーシティという言葉がようやく市民権を得ようとする最中に起こった新型コロナによって、「新しい生活様式」というもっともらしい「正しさ」が闊歩するようになって、それによる同調圧力も無視できないパワーをもつようになった。それが命に関わる「正しさ」であるが故に抗いきれない難しさがある。

s-o-aという2人組のこの曲、良い歌なのに再生回数がそれほどではないなあと思っていたら、同じ曲で14本のMVが公開されているのだった。同じ曲を14本も別バージョンを作ったら、そりゃあ分散されて再生回数は伸びていかないよ。だが、それは音楽業界のセオリーでしかない。再生回数の多さが人気のバロメーターというのはそりゃあ「正しい」けれど、それだけが全てなのではない。14本のMVを、13人の女性と、バンド本人とのバージョンで作っている。それは、まるで14通りの「正しい生活」があるのだというメッセージのようにも感じられる。それは、悪くない。いろいろな「正しさ」の存在を、こういう形で示すことが許されるなら、もう少し生き易い社会になっていくのかもな。

14本のMVを見て、それぞれの再生回数はけっこうバラバラで、それはコラボしている出演者の人気をそれぞれ示しているのかもしれない。ただ、そのほとんどが外ロケで、歌詞にも出てくる桜のある風景の中を女性が歩いてて、ずっと少しばかりくらい表情をしている主人公が曲の終わり際でほんの少しだけ微笑みを見せるという構成で作られている。まるでそれこそが正しいスタイルだといわんばかりなのに、1本だけ室内で撮られた異質なMVがあった。うじたまいという人のそれが、見てて興味深かった。部屋の中でやっているあれやこれやが、見てる側からすると本当にどうでもいいことなのに、うじたまいさんは自由に笑っている。その異質さが、本当に自由だなあと感じられた。

(2020.9.25) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl