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どついたるねん『生きてれば』【あっけらかんとした無軌道で無思想な繰り返しによって、救われる命はきっとあるのだろう】

生きてれば良いことある、というフレーズがこれでもかと繰り返される。その歌い方はけっして熱唱というものではないし、ふざけてるよなといいたくなる程でもあって、とても軽くて拍子抜けしそうだ。でも、どうだろう。この力強さ。軽ければ軽いほど、そうだよねと頷きたくなる。生きてれば良いんだ。良いこともあるんだ。じゃあどんな良いことがあるんだよと反論したくなる人もいるだろうし、直接反論しなくても自分の中で自分に問うて、自分で勝手に「良いことなんて無いんだ」と結論づけてしまう人だっているだろう。理屈で考えれば良いことが起きる可能性は何%だろうとか、100%じゃないよな、だったら良いことが起きない可能性だってあるじゃんねとか、結論の出ない考えに迷いこんでしまう。世の中には答の無い問いというものがたくさんある。死後の世界なんてのもそうだ。死後の世界なんて誰も見たことないのだし、誰もが100%死ぬわけだから、どうなってるのかわからないところに行くのは、確実にそこに行くのは怖いというのは理解できる。そういう人のために宗教というものはある。徳を積んだありがたい教祖とかお坊さんとか神父さんとかが「あなたは天国に行きます。天国良いとこ1度はおいで」とかいわれたら安心する。たとえその教祖もお坊さんも神父さんも誰ひとりとして天国に行ったことはないとしてもだ。なんで行ったことのないところを素晴らしいところと断言できるのだ。それは、誰かが断言して、強い口調で言ってくれることで、人々は安心できたりするからだ。科学的に考察して「天国なんてものは無い。死んだら朽ち果てて土に還るか、焼かれて灰になるだけだ」と言われたら怖くて仕方ない。「天国があるかもしれないが行ける確率は35%」とか数字で言われても困る。怖くて困る。だから宗教関係のエラい人は「信じるものは救われる、天国に行けるよ」と断言する。行ったことも見たこともないのにだ。

死んだ後の天国について語ることは、時として生きてる間に徳を積め、善行を重ねよ、ということにつながっていく。そのやり方はねと、自らの宗教を勧めて勢力拡大のツールとする。まあそれで人々の心が救われるのなら良いんだけれど、どうかね、それはどうかね。

それに対して、この「生きてれば良いことある」というフレーズには徳を積めとか善行を重ねよとか一切関係ないし、だからウチのグループに入れということでもない。ただ単に「生きてれば良いことあるよ」と断言し、繰り返し歌っているだけである。このピュアさ。生きてくれたからといって何も得しない。不特定多数の誰かに向かって歌って、それを聴いた見知らぬ人が「やっぱり生きよう」と死ぬのをやめたとして、彼らに何のプラスがあるのか。そのプラスを考えないところに、ピュアさがあるし、説得力がある。凄い力だ。歌詞の途中でアルジャーノンというフレーズが出てきて、もともとはダニエルキイスの有名な小説に出てくるネズミの名前だが、その後日本ではテレビドラマになって、原作とはかなり変えられた内容だったが、このアルジャーノンという言葉をどついたるねんの彼らがどこから知って、どういう意味で用いているのかとか、頭でっかちな人はついつい考えたりもするのだが、多分そんなことを考えるのは無駄なことで、難しいことなど考えるのやめてとりあえず生きようよというのがこの曲のテーマなのだと思う。そしてそのあっけらかんとした無軌道で無思想な繰り返しによって、救われる命はきっとあるのだろう。

この曲は2015年に「生きてれば/精神」という両A面的な感じでリリースされた。カップリングの「精神」もなにか思わせぶりな哲学的なタイトルだが、聴いてみればそのスットボケ感満載の勢いが妙に心地良い。

(2020.10.22) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl