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グッナイ小形『東京行こうよ』【目標を持っているかのように見せることのできるマジックワード】

朴訥とした人の朴訥とした歌。「東京行こうよ」なので、おそらく地方のどこかに暮らす青年の述懐のようなものなのだろう。歌の中に現れる唯一のベクトルが「東京行こうよ」なのだが、じゃあ主人公が本当に東京に行きたいのか、東京に具体的ななにかを見出して、行きたいと言っているのか。それはよくわからない。歌詞の中にも「僕の気持ちは少し曖昧で」とあって、本当にこの人が何をしたいのかは結局のところよくわからない。だからといってこの主人公が特別に決めきれない優柔不断な人なのかというと、多分そうでもなくて、東京に集まっている人たちの多くは、なんとはなしに輝ける場所に吸い込まれるようにやってきているんじゃないだろうか。そういうことを改めて思わせてくれる歌だ。いってみれば誘蛾灯のような街で、東京は。東京にいる人たちのことをすべて蛾のようだと言っているわけではないけれど、そんなことは有り得ないのだけれど、人が全員具体性のあるビジョンを持って生きているのかというとそうではなくて、だけど漠然と人生を輝かせたいとは思っているだろうし、だから、すこしでも輝けそうな方向に意識も向けば足も向く。この国でいちばん輝いているのはやはり首都の東京で、だから、「東京行こうよ」というのは、「輝きたいんだ」の別バーションなのだろう。

そしてこのグッナイ小形が街のいろんなところで歌っているシーンが映される。ストリートミュージシャンは基本的に多くの人たちに聴いてもらうことで、自分の音楽の素晴らしさを知ってもらい、その結果「売れる」という状況になろうとするのだ。だが、じゃあどんな状態が「売れる」なのか、その「売れる」状況になるために具体的な戦略は何なのか。そういったことを明確に持って活動しているミュージシャンは驚くほど少なくて、だから学生の暇つぶしと本気のストリートミュージシャンとの境界線はかなり曖昧になってしまうし、本当に素晴らしい音楽を披露している人はとっととストリートの状況から次のステージに移っていくし、だから、結局ストリートには将来の可能性が明るいミュージシャンがほとんどいない状態になってしまう。それがストリートで歌っているミュージシャンに注目が集まらない理由のひとつでもある。

話を戻そう。東京に行くという、地方の若者にありがちな欲求は、実は本当に東京に行きたいのではなくわかりやすい「目標」を自分がさも持っているかのように見せることのできるマジックワードであり、それに軽々に飛びついてしまう人がいかに多いのかということを、この曲は見事に示している。しかも、僕がこうして書いているような比較的辛辣な表現ではなく、とてもマイルドに、オブラート5枚重ねみたいにして、音楽としてだけみればとても心地良い感じで表現している。表現として秀逸だ。

(2020.10.26) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl