<!-- グーグルアナリスティック用のタグ -->

夜明けの明星『傍白カメレオン』【注目を浴びることを避けているかのような印象深い曲】

妙に地味。イントロや間奏のところでギタリストはライトハンド奏法を披露していて、普通だったらそこが見所ですよ的なアピールに走るようなところなのに、そんな風がまったくない。自分が鳴らしたい音がそのやり方でしか鳴らせないからやっているだけだったり、誰かがやってるライトハンド奏法をやってみたくて練習してできるようになっただけだったりで、そこに注目なんてしないでくださいよといわんばかりの風情。このMVでその演奏をアップで抜かれて、「あああああ、なんでそこでカメラ向けるのかなあ、やめてくださいよ、目立っちゃうじゃないですか」と文句言ってそうに感じるほど。ギタリストだけじゃない。他の楽器だって目立つようなことやってないし、ボーカルだって声を張るような部分が無くて淡々と歌っている。そんなバンドが鳴らして歌う同調圧力についての絶望的な諦念の歌。だからなのか、妙に沁みる。目立たないようにと努めていながらも端々のフレーズからスパークする鼓動のようなものが滲み出てくる。同調圧力に逆らう気持ちもないのなら、そもそも歌ったりしなきゃいいのだ。しかし、歌う。そういう風潮に疑問をなげるような歌を敢えて作る。積極的に抗うような意志も気力もないけれど、素直に受け入れるのには抵抗を感じる。だから歌う。それは世の中に多く存在するであろう、違和感を持って生きている人たちの声なき声を代弁しているのだろう、結果的に。

     汚い台詞ばかり
     心に溜まってダマって黙ってる
     誰かに興を合わせてサヨナラ
     食いつぶされていく
     バイバイ

歌の全体で表現している重たい気持ちとその背景描写を、イントロに当たる冒頭の数フレーズで見事に綴っている。冒頭では「誰かに興を合わせて」と歌っている部分が、曲の中盤では「誰かに今日を合わせて」と歌われている。言葉の掛け方が巧みで、それが曲全体を締まったものにさせている。同調圧力に屈して言葉少なめになる人が、何も考えていないから言葉少なめなのではなくて、一杯一杯考えているのだということがこういった表現のひとつひとつに現れている。もっと派手に注目を浴びてもいいはずなのだろうけれど、浴びることを避けているかのような、とても不思議で印象深い曲だ。

(2020.11.17) (レビュアー:大島栄二)


ARTIST INFOMATION →


review, 大島栄二

Posted by musipl