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ウワノソラ『無重力のフォトグラファー』【彼らならではのポップスというものへのアプローチ】

ポップスというのはどこまで楽曲としての個性を打ち出さなければいけないのだろうかといつも思う。インディーとして作品を発表し始めたポップスアーチストがそこそこ有名になっていくといつのまにかマニアックなサウンドを指向するようになり、発表し始めた頃のど真ん中的な明るいポップスをやらなく(創らなく)なってしまうことはとても多い。なぜ当初のドがつくくらいのポップではダメなのか。そう思うリスナーは多いけれど、作り手の立場になって考えれば、他との競争、同時代のポップスアーチストだけでなく、過去の名作ポップミュージックとも競争しなければならず、それらとの比較に耐え得る表現を、まだ誰もやっていないような作品として生み出さなければという気負いもあるわけで、それはそれで仕方ないと思うが、その気負いがかえって自分たちを狭いところに追い込み、出口を見出せなくなる才能も少なからず存在する。

ウワノソラを最初にレビューしたのはもう6年前の2014年のことで、その直後に彼らは同じメンバーでありながらウワノソラ’67というユニットの活動もスタートさせた。同じメンバーなので何が違うのかはよくわからないものの、彼らには何か明確な違いがあるのだろう。個人的にはウワノソラ’67の方がよりポップスの王道路線を行こうとするユニットなのかと思っていたけれど、最近の様子から判断するに、そういうことでもないらしい。ウワノソラとしてもいえもとめぐみの個性的で透明感のあるボーカルをより前面に押し出すということでもなく、淡々と、そしてどちらかというと地味なポップスを創り続けている。全体的にノスタルジックな印象のある曲調で、以前は「誰々っぽいポップス」みたいな印象があったものの、そこからはかなり離れて、誰々っぽくない、そして地味な曲調に変わっていった。地味な曲調という段階でもはやポップスでもないのかなあとも思いつつ、それでもウワノソラは僕の中では依然としてポップスバンドという印象のままずっときている。昨年リリースされた3rdアルバムの中に『超の刺青』という曲があって、この曲にはフレーズフレーズにポップス的な軽やかで繊細なリフが入れこまれていて、それらが全体の地味さを根底からひっくり返すくらいのポップスフレイバーとして彩っていた。彩られることで地味さは輝きを増し、歌われている歌詞もリアリティを増していた。以前から変わらない一貫したノスタルジックな風合いは、以前だと昔懐かしい何十年代のポップスのようという、音楽の雰囲気が持っている懐かしさに由来するのだと思っていたけれど、そうじゃなく、地味であるが故の色褪せた写真のような印象だったのだと気づかされた。『蝶の刺青』では誰々っぽいというのとは違う種類の彩りを与えられたことで、ノスタルジックな靄を取り払われて、歌の世界がビビッドに響いていた。いえもとめぐみの歌声も以前よりトーンを落としたような感じに変わっていて、そのことが、より歌の世界をダイレクトに伝えられるようになったように感じられた。

その『蝶の刺青』から1年を経て、今回の『無重力のフォトグラファー』は、イントロからしてカラフルな曲調に回帰しているように感じられる。しかし、『蝶の刺青』を経験してからのこの曲なので、彼らならではのポップスというものへのアプローチがより理解された感じで、素直に完成への過程を体験できるようで嬉しい。バンドである以上一定の規模以上に活動をしていけなければ趣味の域を出ることはできない。そういう視点でバンド活動というものを考えるならば、ウワノソラの活動は展望に溢れているとはとても言い難い。しかし、彼らが純粋に音楽にアプローチを続けていることは間違いなくて、発表する曲がみな趣味の域を完全に超えていて驚かされる。ひと昔前の音楽産業の価値観だけでは測ることのできない現代の音楽活動が既に存在し、着実に歩んでいるこうしたバンドが存在していけるということに、明るい喜びを感じると同時に、もっと広まらないものかというジレンマも感じてしまう。しかし、ひと昔前のような勢いで周囲がバンドを推進しようとすることで瓦解してしまう才能もあるのだろうし、そういった経済的視点に押し切られることの無い活動の場が、音楽の世界にも存在し得るのだということに、もっと前向きな希望を見るべきなのかもしれない。

(2020.11.21) (レビュアー:大島栄二)


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review, ウワノソラ, 大島栄二

Posted by musipl