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ammo『なんでもない』【なんということもないことが淡々と歌われているという作品】

どうやら失恋の歌のようだ。しかしながら失恋の歌にありがちな重さがない。失恋して歌まで作るんだからヘビーさに打ちひしがれているような苦しみをこれでもかと表現しないとウソだろうと、そんな批判めいたことを思う人もいるだろうし、僕も実際他の失恋ソングとの違いに「あれ?」と肩すかしを食ったような拍子抜け感をいだいた。というより、最初はこれが失恋ソングだとはしばらく気がつかなかったくらいだ。しかし歌詞をよくみると失恋の歌。なのにこのゆったりとした、軽いとまでは言わないけれど、重々しさがほとんどなくて、日常の普通の光景を歌った、「あ、今日は雨降ってんな」くらいのテイストで興味深い。

よく考えてみたら、歌にする側は失恋の体験を掘り下げて掘り下げて、感情の揺れを表現しないと表現者としてダメだろ、みたいな想いを抱いて、それでこれでもかとネガティブな感情をさらにひろげて歌詞を書くかもしれないが、聴いている方はそうばかりでもなくて、ヘビーな失恋体験もある一方でライトな失恋体験もある。ライトの中にも本気の恋愛が終わったというものから、あそびの恋愛が終わったというものまでさまざまで、まああそびの恋愛が終わった人はそもそも感情もそんなに無いだろうから別にいいけど、本気の恋愛が終わったけれどそれほど重々しくまでは感じていないというケースもある。そういう人が聴いて共感するのは、ヘビーな失恋ソングじゃなくて、ライトな失恋ソングのはず。だけど、そういうライトな失恋ソングって意外と無い。無いから探すというほどでもなくて、だからこの曲を聴くまでそういうリスナーの需要があるとも気づかずにいて、だから「あれ、これは失恋ソングなのか?」と疑問を持ったほど。だが、こういう失恋ソングは有り得るし、むしろこういうのを無自覚に求めている人は案外多いんじゃないだろうか。

例えていうならば、絵画には静物画というジャンルがある。ただそこに置いてあるリンゴを描いているだけの絵、というものが普通にある。美術館に展示してあるリンゴの絵を鑑賞したりする。ただのリンゴなのに。ドロドロとしたドラマチックさなんてまったくないのに、作品として成立している。だったら音楽にもそういう、なんということもないことが淡々と歌われているという作品があってもいいんじゃないだろうか。本当になんにもないのを歌うのが憚られるとすれば、そんなに感情のアップダウンが生じていない失恋とか、失恋からしばらく経過して徐々に心情がコントロールできるようになった日々とか、そういうものがリンゴの絵のように描かれている歌。そういうものによって癒されるというリスナーも、想像以上に存在しているんじゃないだろうかとちょっと考えさせられた。

(2020.12.17) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl