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米澤森人『コップ』【想いの詰まった音というのは、ちゃんと伝わるものだよなあ】

悲しみから逃れるにはどうすればいいか。そんなことをゆっくりと歌っている。

辛いなら、終電も悠然と見送っていいと歌う。終電といえば誰しもがなんとか間に合うようにと駅に向かって駆け込んでいく対象だ。もしそれを逃せば、高いタクシー代を払うことになってしまう。払うのが嫌なら長い距離を歩くことになってしまう。もう眠いのに歩くのは嫌だ。だから、走る。疲れた深夜に。疲れた深夜に走るほど重要な終電を、悠然と見送ればいい。それはある種の発想転換だ。そう、終電なんて見送ればいいのだ。しばらくは暗いけど、やがて朝はやって来る。そんな自明のことが、暗闇の中ではなかなか気付けない。そして第三者はその闇を知らないから、頑張って走れ、そうしないと高いタクシー代を払うことになるぞと警告に輪をかける。だから必死に走ることになる。そんなもの、見送っちゃえば楽になるのに。

1番の冒頭で「もしも君が辛いなら」と手を差し伸べるこの歌は、2番になると「今日は僕が辛いから」と助けを求める。最初から助けを求めることはなかなか難しい。助けを求めるのに先も後もないのだが、そうはいっても助けを求めるのは難しい。求める側にもプライドというものがあるし、なにより、助けを求めた時にやんわりと断られることが怖いから。ただでさえ弱っている状態で、助けを求めるにも勇気を振り絞らなきゃいけないのに、その勇気が無駄になるかもしれないと思うと怖すぎる。弱ってる心にはとても重いこと。だから誰にも頼れずにこの世から消えてなくなる人が後を絶たない。この歌で「今日は僕が辛いから」と歌えるのが2番になってからというのがとても深くて重いなあと感じずにはいられない。この曲の主人公は、誰かを助けたから、次は自分も助けて欲しいと言えるのかもしれない。誰かを助けたという事実が、自分が助けて欲しい時にその心を吐露できる。情けは人のためならずという言葉を思い出す。同時に、自分が助けて欲しい時にそれを誰かにぶつけることは、そのぶつけられた相手にとって、いつか訪れる相手自身の危機に、オレを頼っていいんだよというメッセージにもつながるんじゃないだろうか。

口笛と鍵盤からスタートするこの曲は、徐々にいろいろな楽器音が重なってバンドサウンドになるのだけれど、全体的なトーンとしてとても静かでやわらかだ。どの曲もそうだけど、最初に聴いた時点で歌詞の内容をつぶさに知ることはほとんどなくて、だから第一印象の90%くらいはサウンドが形作っていく。この曲もそうで、歌詞なんてそんなによくわからなかったけれど、最初からこのやわらかい音が、歌詞に込められた優しさを代弁してくれた。こぼれ落ちそうな悲しみを逃さぬようにすくうコップ。そこに込められた優しさと希望を、この曲はサウンド全体で表現している。想いの詰まった音というのは、ちゃんと伝わるものだよなあとあらためて感じさせられた。

(2021.1.14) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl