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ハンバート ハンバート『それでもともに歩いていく』【友情について、子どもの目線からと親の目線からと】

友情を歌った歌。歌の主体は友達になっていく人なのだが、小学生の息子がいるとどうしても親目線で考えてしまう。特に、「親に内緒で冒険する」という言葉。その前が「木の上の小屋と合言葉/落ちこぼれが集まって」で、落ちこぼれは成績的な話なのはわかるけど、「木の上」と「落ち」が連なると、ああ、木から落ちたら大変だとついつい思ってしまう。親に内緒で木にのぼるのか。心配だ心配だ。でも、全部親に聞いてからじゃないと何もやれないというままに育つわけにもいかないし、2歳で親に内緒の木登りをされたらたまらないけど、じゃあ何歳からならそれがOKなのか、OKというよりも自然なことなのか、その移行に伴うリスクを、親はどのくらい容認して覚悟すればいいのか。いや、小さすぎる子どもがそんなに大けがするような高い木に登れる訳ではないのだから、そう気を揉まなくてもと言う人もいるだろうけれど、親というのはそういうものなのだ。

親の目線とは別に、自分にも友達はいるわけで。どんな友達とどのような付き合い方をするのかなんて、親にいちいち報告するわけではない。ある程度の年齢になったら、自分のことを一番よく知っているのは親じゃなくて友達だ。誰もがきっとそうだろう。しかし、友達では立ち入ることのできない領域というものはある。親友が死んだとき、多くの友達は葬儀に参加できず。友達主催で友人のお別れの会を開いたものの、そこに遺骨も位牌も当然なく。焼香することももちろんなく。それはどういう別れのセレモニーなんだろうと思ったことがある。亡くなった親友のここ20年ほどの活き活きとした写真はお別れの会の方にたくさん集まる。だが、それでも、友達には立ち入ることのできない領域が、亡くなった親友とその家族の間にはあった。それが良いとか悪いとかいうことではない。友達というものと家族というもの、血縁があることとないことには決定的な違いというものが存在している。良いか悪いかとは別の話として。

それでも、人は家族とだけで生きていくことはできない。

友情をシンプルに歌ったハンバート ハンバートのこの歌が静かに沁みる。夫婦デュオの彼らが友達のことを歌うというのが、またイイ。

(2021.2.27) (レビュアー:大島栄二)


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