THE Ruee『I am Sick』 Next Plus Song都はるみ『好きになった人』

David Bowie
『Changes』

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 デヴィッド・ボウイが病魔と対峙したすえに、逝去した。ずっと在り続けるようなマジカルな存在だったという驚きと悲しみとともに、世界の各地、改めて少なからぬ人から「どんな人だったの?」と問われることがあり、縦軸と横軸の位相の変化を想うことがあった。

 縦軸にはこれまでの歴史に沿う。だから、年表的な符合と都度の浮き沈みが付記される。横軸は地平に繋がる。だから、ある種、無限に膨大な荒野に投げ出されるような中で、なんらかのオアシスを探すことになる。その最適値を探すには、少し酷なのかもしれない。何故ならば、自分の敬愛するアーティストたちがボウイを好きと言ったことで「興味を持つ」という位相も生まれてくる趨勢だからで、手探りで定額聴き放題の数百曲の中から彼の核心を掴むのは容易でない。ショートカットや要約では、本論は逸れて、郵便性しか持たない。

 つねに、タイムレスなマスターピース的に挙げられる『ジギー・スターダスト』はロッカ・オペラのようで美しかった。ベルリン時代の作品、『ロウ』の音響美はラディカルだった。そして、近作におけるロック・スターが歳を重ねる事への美意識を示してみせているのは見事だった。掴みどころがないようで、内実はメタにベタで、ベタでメタな、それこそモナドな人だったのかもしれない、分かり易さをおぼえもする。ハロウィーンが日本にここまで根付くより何より「仮装」の意味を解っていたというのも含めて。

 加速度的に凄まじい情報量と批評で彼に纏わる逸話、写真、ディスコグラフィー、これからはアーカイヴスの発掘が行なわれ、再定義され続けるだろうと思うし、確かにボウイのような存在は後にも先にも一時代の象徴であるのは確かなのは、異論はない。ただ、カメレオンのように時代を読み、移遷し、サウンド・スタイルを変え、ある種のイコン性をつねに秘匿的保持していたという「大文字」よりもときに大胆にしてややチープなダンス・ビートやドラムンベースを取り入れたり、ぼんやりアウト・オブ・デイトな時期があった感じが彼の本懐だというのも遡及して想うのも事実で、だからこその棺桶に入ったあとから始まる音楽が在るという意味では、ひとつの何らかの境界線なのかもしれない。

 総てはそう簡単にオマージュには成しえないからだ。

 憂慮するに、「静謐に、喪に服する」のはあくまで生きている側の膨大な望みの仮託が彼を増大させ、より増殖させるような気もしてしまう。だから、ここでは、1971年のマッドな『ハンキ―・ドリー』からの「Changes」がいかにもミメーシスをなぞっている見事さを紹介したい、というのはお門違いだろうか。

        Ch-ch-changes
        Just gonna have to be a different man
        Time may change me
        But I can't trace time
                (「Changes」)


 変わること、と、模倣することは同悧の内部ではぜ合う。やはり、「プロテアンに、多様的になること」が先を描いてゆく。デヴィッド・ボウイの美片は必ず、世界のどこかに転移し続けるだろうと思う。
(2016.1.29) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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