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中の人
『ツキノワグマ』

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 とても気持ちいいだろう。こんなに美しいピアノを弾いている時のミュージシャンは。たとえその美しい音が結果的にこんなにも悲しい気持ちを引き起こす旋律になったとしても。
 この曲は全体に悲しさに満ちている。では何がそんなにも悲しいのだろうか。ピアノの音もメロディも、不安定につぶやくようなボーカルの声も、モノトーンで展開する映像も、基調はどれも美しいものばかり。歌詞はとても断片的で、ひとつひとつの言葉には不安を呼び起こすようなものがあるけれど、具体的に論理的に明示される悲劇があるわけではなく。だから何度も繰り返し聴いたところで歌詞が示す不安を完全に理解することができない。例えていうならば、うなされて起きた朝に、なんとか朝食を口にしたあたりで、ところでさっきの悪夢は一体なんだったっけと思い出すような、思い出そうとしてもけっしてディティールが蘇ってこない、漠たる恐怖体験のようなもので。人は記憶が薄れることで美しいものをより美化し、醜いものをより突き放し遠ざけようとする。だが本当に染み付いて離れないのは、遠ざけたかったはずの醜い何かだったりする。
 それでも何とかしてこの曲を理解しようとする。理解したいのだ。
 だから、歌詞を書き起こす。MV中に歌詞は表示されていて、だからそれを読めばいいのだろうけれど、それだけではどうしても頭に入ってこないから、書き起こす。そうしてみると意外なほどにシンプルな歌詞だ。だが具体性がないということも明確になる。具体性がないというか、背景がなくて、登場人物の顔も見えないという感じ。味方でいてくれると思っていた相手が誰かさえわからないとか、心の奥の小さなクマの子供とか、ひとつひとつの表現が秀逸だ。その具体性のなさが、歌を聴いていてもイメージがスーッと立ち上がってこない理由だし、漠たる不安を生む要因になっているのだろう。
 このMVを投稿しているのは「中の人」という謎のプロデューサー。概要欄にもリンクは何もなく、検索したところで何もヒットしない。プロデュースした楽曲をこのチャンネルで公開しているそうで、これまでの3曲はすべて(おそらく)違うボーカリストが担当している。個人的にはこの「ツキノワグマ」のボーカルが一番好き。好きといったって、そのボーカリストが誰なのかさえわからないのだけれど。売れたい売れたい、知名度を上げたいという“アーチスト”が多い中、こういう正体不明のアーチストも存在する。そしてそういう中にも、美しい表現は確実にある。そういうものに不意に出会った時、やはり嬉しい気持ちがわき起こる。たとえその無名性の故に自然と過去に去っていき、近い将来その存在さえ思い出せなくなるかもしれないという一抹の寂しさが併在していたとしても。
(2019.6.25) (レビュアー:大島栄二)
 


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