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clammbon
『タイムライン』

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 抽象的な図形が様々に次々と現れては次に移っていく。クラムボン原田の軽やかで芯の強い歌声とシンクロするように流れていく。タイトルのタイムラインとはなんだろうか。今さらだなその質問。人々が携帯電話からスマホに乗り換え、SNSも様々なサービスが提供される。面白がって始めるものの、続かなくてやめる人も。一方でしぶとく続ける人も。見ていると、そこに人の日常が映し出される。日常が映し出されるということは、その人が何を見ているのかが映し出されるということである。暮らしに関わるすべてのものを細かに描写し記録することなんてできず、人は自分が関心を持ちうるものだけに気付き、その中から厳選して投稿すべき価値のある何かを公開する。タイムラインには自分と関わりのある誰かが厳選した、価値のないものを排除した何かだけが並ぶことになる。厳選した以上そこにはその誰かの価値観が投影される。日常そのものは、人間そのものだ。
 「歌が聴こえてる、それぞれのタイムライン」とクラムボンは歌う。歌を投稿するのっていいな。でもここで言われている「歌」とは、リズムとメロディを伴った音楽のことじゃないのではないだろうか。タイムラインに現れるすべての投稿は人間そのものの投影であり、そういうものはすべて歌なのだろう。たとえメロディなど無くとも。僕らの日常は、暮らしは、人格は、価値観は、すべて歌なのだ。シティポップスのような、ヘビメタのような、カントリーのような、ロックンロールのような。いろいろな人がいて、いろいろな暮らしがあって。そういうのが全部織り混ざってタイムラインに浮かんでくる。楽しいな。眺めてて、楽しいな。
 出先から届くあの人の写真。自分とはずいぶん違う光景の中で生きているんだなと思う。しかしそのずいぶん違う光景の中で、結局やってることは自分と変わらないんだなとも思う。インターネットは手の届かなかった知識や風景に容易く僕らを連れて行ってくれる。ずいぶんな恩恵だ。最初は地球の裏側はどんななんだろうとかワクワクした。GoogleもiTunesもまったく無かった頃、ホワイトハウスの情報が見えるとか、ボストンのコーラ販売機にあと何本入っているのかとか、どうでもいい情報に触れるのが面白かった。そういった非日常も、ネットによって日常となり、たいした価値もなくなり、誰も見向きもしなくなる。知人が投稿する日々の写真にさえ関心を向ける熱量は覚めていく。それはもはやネットが生活の一部になり、遠くの出来事もそれほど遠くのものではなくなったということの証拠なのかもしれない。
(2019.8.17) (レビュアー:大島栄二)
 


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