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Awesome City Club
『Don’t Think, Feel』

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 なんだろうこのプロの仕事。音楽は制作環境がどんどんとパーソナルなものになっていき、その過程でプロの制作もどんどんと個人ベースのシステムに委ねられていく。予算規模も小さくなっていくしな。で、そういう環境はアーチストの発想がダイレクトに形になっていくというメリットもあるが、同時に個人の域を出ない小さな世界ばかりが世に送り出されていくというマイナスも持つ。神のような人間なんていないわけで、だから個人の小さな悩みとか、狭い範囲でのアンテナがキャッチした世界を聴かされることになる。それが功罪の功なのか罪なのかの判断はともかく、現状個人の感覚に根ざす人間くさい小さな世界が溢れていることは事実。80年代以前の音楽界が機材環境面や流通面などの理由から完全にプロに独占されていた頃には、表現者たちがその表現全体の数パーセントしか担当し得ない神輿でしかないいわば虚の世界だったことを思うと、今の音楽シーンはまったく別モノなのだなあとよく思う。そんな中、このAwesome City Clubの音楽の浮遊感、リアルさの徹底的な排除。すごいのひとことだ。このビデオの舞台は閉店後のGAPなのだが、こんなGAP見たことないよな。日常にあふれている現場が非日常に見事に変わる。それは人が入らない閉店後だからという単純なことではなく、そのコンセプトを実現しているのが音楽そのものだということを見逃してはいけないのだろう。ディスコ的な雰囲気を持ちつつも基本はシティポップ、だが近年増えているどのシティポップとも違う。ボーカルにも徹底して微妙なエフェクトを施し、絶対に届かない何かが生み出されている。多くのアーチストがアーチスト自身の唯一無二的な個性をどう打ち出すのかに腐心しているのと較べ、彼らは彼らでなくても成立する反個性を構築仕様と懸命になっていうように映る。なんでなんだろう、どうしてなんだろうと他の曲もひと通り聴いてみるがやはりその印象は同じで、その徹底ぶりが結果的に他にない個性となって興味深い。そんな中「Lullaby for TOKYO CITY」という曲があって、それだけなんか他と違う。映し出されるのは東京の夜。そのすべてのシーンに人が溢れている。巨大な都市で懸命に働きながら何を見失ったのかと問いかけてくる。眠らない街には夢があふれているが、その眠らない街を動かし続けるためには人が眠らずに寄与することが必須で、だから夢をあふれさせるために誰かの夢が食いつぶされていく。いや、誰もの夢なのかもしれない。そのことに気づくのは、リアルなのか、それとも虚なのか。気づかずにいた方が幸せなのか、不幸せなのか。そのことはよくわからないし、気づいたところで抜け出すのは容易ではないし、抜け出したらそこにパラダイスがあるという保証はどこにもない。だがそのことを誰もが、明確に理解せずとも薄々感じながら、足を止めるよりもそのまま歩き続けた方が楽だと日常を継続しているのだと思う。だから歌がいくら「おやすみ」とララバイを言葉にしても、その場所はやはり眠ることは無いのだろう。Awesome City Clubの基本コンセプトは「架空の街 Awesome City のサウンドトラック」だそうで、その架空の街 Awesome City とは東京のことなのではないかと普通に感じる。一度はララバイと本音を出してみながらも、それで架空の街が止まることは有り得ず、だから彼らはまたリアルとは真逆の音楽を奏でていく、奏で続けていくのだろう。それも東京で音楽を創るプロたちのひとつの重要な役割なのだろう。
(2016.8.22) (レビュアー:大島栄二)
 


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