Pomplamoose『Get That Body Back』 Next Plus Song羊文学『春』

Léonore Boulanger
『Minuit』

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 撤退戦略やカニバリズム戦略が兎角、躍っていた時期の狂騒はすこしずつ変わってきている様相がある。大きなモールを出して、採算性を見て撤退ありきで進出し、周囲にはそれまでにあった商店街や昔ながらの店がほぼ壊滅してしまったとか同じようなチェーン店、例えば、カフェやドラッグストアを近くに置いて、共喰いをさせ合いながら、最終的にそのチェーンの母体たる収益が上がればいいというモデルよりは、もう少し狭間の導線やニッチを埋め合い補填しようとする動きが表出してきて、まだ一気に花咲き、目に見えて分かってくる訳ではないと思うが、ホテルと近隣施設の連携や移動型買い物車で対話とともに商品を選ぶ楽しみを日常に組み込む人たち、更にシェアリング・エコノミーの流れ等が仄かにどこも同じ“ように”映る風景を、空き地、廃屋や人材不足を変えてゆく可能性とともに。

 だから、こういう音楽を聴いていると、気持ちが静かに揚がる。遊び心と実験精神と、アートを接合させながら、インスタレーション的にあまたの映像が入り組み、流れてゆく。(しかし、この映像内にもあるが、日本の古武術は世界で本当に興味深く映るのかな、とつくづく思う。)

 パリの奇才たるレオノール・ブーランジェの三作目『Feigen Feigen』からの一曲。パリの、という冠詞が現代では必要なのか、と考える部分はあるが、彼女の多面的で果敢なアートを通じた表現方法に関しては如何にもパリの内奥に持つ柔軟な多文化主義的なところには結びつくかもしれない。パリとベルリンの往来、そして、鍛冶職人の工場で録音された今作からも、ユニークさや突飛さで捉えられない、またこれまでだと前衛性の下、好事家のなかで消化されていたような内容が世にもっと真っ当に軽快に聴こえてくる。加え、不思議なリズムで身体を揺らしたくなるところまで言語ばかりに偏りがちな肥大した頭をほぐしてくれる。

 付和雷同に疲れてきている人たち、共存のスローガンだけでは実は共存など出来得ないことを薄々分かってきている人たちのどこかで同調圧力や自らで作ってしまっているような基準や理性の域を僅かでも彼女のような音楽がほぐし、対象化してくれるのではないか、そして、新たな視角がひらけるのではないか、と堅く野暮な言葉を抜きに、先入観など抜きに年明けに気楽に触れてほしい音楽として。
(2017.1.16) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


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