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降谷建志
『Stairway』

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 “ミクスチャー・ロック”という語句の残響に面映ゆさをおぼえる人もいるかもしれない。いつかのイヴェントで居合わせた、パンク・ロックを心から敬愛するザ・クラッシュの『ロンドン・コ―リング』のジャケットTシャツを着た肩の龍のタトゥーが恰好良かった土建屋のお兄さんに奢ってもらったビールは美味しくも、そのビールはUAのダヴィーなサウンドでカクテルになってしまったのだけれど、「混ざり合う」ために制約条件性の縛りが多少なりとは要るのはどんな場でも確かにあると思うからでもある。
 昨今、ケンドリック・ラマーというUSの20代後半に差し掛かろうというヒップホップ・アーティストが2PACと“対話する”のみではなく、USにおけるブラック・カルチャーの切迫した情況をグル―ヴィーにジャジーにかつ、メロウに表象してみせた瀬に“ロバート・グラスパー以降”の冠詞を捧げずとも、彼は何重ものナショナル・アイデンティティ、自意識の錯綜に攪乱しながらも、2015年における宗教・民族・倫理観への安易な文脈の縄抜けをはからず、歴史的なルーツを踏まえた、多様な問いかけを聴き手に促す。また、聴き手だけじゃなく、オバマ政権を築いた国へと、名誉や地位を手にした自身へも。

 さて、ドラゴン・アッシュというバンドは日本において90年後半におけるブレイクを越え、00年代、そして、ダンサーの加入や編成が変わり、初期からのメンバーを喪うという大きな痛みを負い、それでも、この今においても力強くサヴァイヴしようとする、しなやかでタフな、知性を持っているミクスチャー・ロック・バンドの最たるものであるが、はたして、そう言い切った際に「ドラゴン・アッシュはそう(ミクスチャー)じゃない。」という意見も出るだろう。しかしながら、洋邦勢入り混じり、09年のサマーソニックの大阪会場の野外ステージで、炎天下、真っ昼間というライヴだったのもあったのか、また、他のアクトへの目当ての人も多かったのか、会場は疎らで、それを察しただろうフロントマンたる彼が「ミクスチャー・ロックは御嫌いですか?」と叫んだMCは忘れられない。そのステージには以後、ナイン・インチ・ネイルズ、マイ・ケミカル・ロマンスなどが控えていた。

 00年代前後の彼らは一種、社会現象となりながらも、華麗に北海道のフェスで「Viva la revolution」で歓喜の旗が靡くさまに遭遇した身としては、ドラゴン・アッシュ、そして、フロントマンたる降谷建志氏のアクションには気になるものがあった。そこで、さり気なくも美しく、この「降谷建志」名義のソロ・プロジェクトが始まり、曲のみならず、初のソロ・アルバム、ライヴまで決まっているのには多少、ナイーヴに対峙せざるを得なかった。ただ、この「Stairway」、いわゆるソロ・アルバムにリードされるシングル曲で、オーストラリアでシューティングされたものなのだが、漂っているフィーリングがとても心地良く、たおやかな空気感含めてフィットするものがある。尖っていたり、牙を向く時期ばかりが正解とは限らないのは得てして多い。
 過去には、彼はnidoやアナザー・ワークスなどでエレクトロニカ、IDMへの傾倒を示す作品に関わっており、敷衍して、美しいサティ、イーノにも負けないアンビエント的なソロ・ワークを作るかもしれないと思うところもあったのだが、聴いてのとおり、箱庭的な電子音楽の意匠は細部で凝らされながらも、ベースにあるロックのダイナミクスが折衷されたスマートに自由性の高いサウンド・ワーク、リリックが活かされたものになっている。MVで垣間見える彼も、過去のあらゆる聴き手やファン、そうじゃない人たちの想い入れの集積体として捉えられるならば、そのふわっとした「自然体」という在り様に訝しく、やわらかく構えてしまう人もいる可能性もあるが、ただ、彼は今回のソロ・ワークにあたって多方面で積極的に、ドラゴン・アッシュの自身としてより、あくまで「個」たる自身の表象行為の動機、理由に対してメディアを通じて語っている。

 ロハス、スローライフ、身の丈などの惹句は別にして、即座の大きな「決断」に個たる「即断」する必要はないと思う。何故ならば、ほんの一年後、いや、数日後、または、数年後に繋がってゆくかもしれない未来のための遺産的な何かの保存の急務に化す場合もあるからで、その未来はそんなに多く遺されていないとしたならば、例えば、ドラゴン・アッシュという大きな母艦が混ぜ合わせ、飲み込み、ミクスチャー・ロックを標榜していた来し方は「必ず、(前史を知らないだろう、もしくは、知らない振りをしているだろう)新しい侵略者が歴史を攪乱する余地があるから、それを表層的にではなく、あくまで真摯に向き合い、深部で音楽の持つ生命力を信じよう」という所業だったのではないか、というような音楽の持つ力がこのソロの楽曲からも鏡面のように再認識させられる。

       《ありふれた道が 劇的な風景へ続く》 (「Stairway」)
(2015.6.2) (レビュアー:松浦 達(まつうら さとる))
 


   
         
 


 
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