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コーネリアス『Mellow Waves』

〜ライヴで再写される高度なサイケデリア〜 文=松浦 達

2)どこかで、いつも

 ブライアン・イーノ、ペンギン・カフェ・オーケストラ等から、YMOの各々メンバーの活動に都度シンクロしてゆくような、その後の世界の有名曲のリミックス、オリジナル作たる01年の『Point』、06年の『Sensuous』での間や静寂の機微を活かしたサウンドワークには水の音、鳥の声、環境音までが違和なく混ざり合いながら、ライヴでは精緻に作り込まれた映像とバンドとしてのサウンドを同期させてみせながら、そのパフォーマンス自体がボーダーレスに世界の言語体系を解毒していった。俳句(HAIKU)のような曲はプロセスを経て、その場での発話体験を共有することで雄弁に主客転倒せしめる。制限された表現方法でこそ、いつの瀬でも揺れる社会の反映として音楽は、アートは強くしなやかになる。ジガ・ヴェルドフ集団の後背をどこか今のコーネリアス・グループに観ながら、『Tout va bien』とはいかないのも分かりながら、巷間では短絡的に日本語の細部のニュアンスは美しすぎて曖昧に大事なものを逸らしてしまった。『方丈記』や枯山水、禅、和食、お茶、薬膳、アニメ―ションに詳しい異国の人たちの居合いは今、日本でこの先を生き抜こうとしてどこまで補完されるのかは、沈思黙考の中に混ぜ合わせるしかない。

 ただ。どこかで、いつも、そんな人はあらゆる壁を越えて集い合い、お茶をかわし、談話する。


完全な忘失までの、あなたがいるなら