300記事を越えての定義行為として

                     musipl.com 大島栄二 × 北沢東京 × 松浦達 特別記事

序文:疲弊した言語を蘇生すべく(文=松浦達)

 ボランティア”という言葉はよく見受けます。

 それは、奉仕、慈善など美辞で語られるケースが多いですし、こういう御時世では相対性よりも絶対性を帯びるような強制性さえあります。震災、事故、病気、あらゆる寄付を募る子たちを街で観るのは珍しくなくなりました。それは決して悪いことではなく、“自己”判断で行うべき行為性は囲い込まれる何かではなく、あくまで自己“判断”です。

 このmusipl,comは押し付けではない形で、既に300を超えるアーティスト、そして、取材や記事もじわじわ増えてきました。そのアティチュードに対して、「良く思っていない人たちの声」もあまたありながら、再アクセスやここでしか読めないアーティクルもあったりしています。

 弊名としましては、編集長の大島の都度の意思を汲みつつ、コントリビュートしながらも、享受し難い批判といいましょうか、そういった類型を受けてもきました。但し、別に「何かを表現すること=第三者に即座に査定されること」は、極当たり前でもありますから、ナイーヴ、過度に繊細に在る必要性はないと思う日々です。

 大手メディアでさえ、対象を絞って叩くだけ叩いて、その後は手のひらを返す訳ですから。この数年、よく“違和感”というラングを使っていました。それでも、“違和感”で表示されるものはイメージのぼんやりしたもので、毎朝、世界中のメディアをチェックしましても、その偏向は不気味なくらい自身では把握領域を超えるものも数多く、ありました。特定の「個」を追い込むより、もっと伝える“べき”行間があるのではないか、というには短絡的でしょうか。それにしましても、2014年のこの夏現在、この原稿をタイプしています中で、ぼんやりしました現実と急速に進みつつあります、シリアスな真実が完全に乖離しているのは確かです。

 ここでは、musipl.comというサイトの内部にて、サーチやランダムからでも辿りつけないかもしれない、過去記事の紹介を大島編集長、北沢東京氏、弊名とともに改めてそれぞれ5つ選別し、お互いがそれぞれのレコメンドに対してコメントを寄せることで立体的に浮かびあがるようにしております。なお、これがmusiplとしての主体ベストではなく、あくまでレビュワーの今後へ向けてのベターな契機です。

 編集長の大島はじめ、幾人ものライターが関わり、埋もれているものもあるだけに再発掘のコンテキストを敷ければ、幸いでございます。なお、このたびは 大島、北沢東京、松浦の自薦というのもありますので、契機にサイトを隈なくチェック戴ければ、とも思います。

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【松浦達が選ぶ5曲】


ぐしゃ人間『死ね/死んじゃおっかな・・・』


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 戸川純イズムといいますか、こういった衝動性に動かされるアクトが出てきてこそ、実相が見えると思います。その意味では、ヴィレッジ・ヴァンガードの品揃えの中でふと闇的な何かに落ちるというのはもうデフォルトではないか、という気が致します。(松浦達)

 

 昔大正九年というテクノアーチストをプロデュースしていて、病んでいるからこそピュアが全面に出てくるというのを体験してて、なにかそれを思い出させてくれるような1曲です。おそらくこの人たちは病んではいないんだろうと思ってますが、作品としてとてもピュアだなあと感心します。(大島栄二)

 最後の章の前にコーラスが入るところ、絶対孤立ではないことを意図したところでしょうか。音楽的な作業で入れたのかもしれませんが、決意の声に添える声があるかないかで、物語の感触も違うので、私はコーラス入っていてよかったと思いました。連続ドラマとして、生まれた街を捨てて独立した歌を聞いてホッとしたいです。(北沢東京)


carpool『メン募』


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 HPで新曲も公表されていますが、今の時代でロック・バンドをやることを戒めている方々と思います。IDLEWILDが好きだなんて言も含めて、これからに向けて期待が出来ます。(松浦達)

 

 サウンドとしては軽めで、重厚なロックバンドとはまったく違うけれど、バンドを作ってスタジオに入ってああ楽しいという初期衝動の喜びはむしろこういうサウンドこそピッタリだと思います。ビデオも最高です。(大島栄二)

 むずかしいことを唄って無いのがいいです。ロックバンドは「俺は行くぜ!」か「お前が好きだ!」だけを唄っているのが好きです。これは「俺は行くぜ!」ですね。(北沢東京)


fugacity『手の中』


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 心地いいリズムに、検体的なムード。それでいて、昨今のシティーポップスとは一線を画す、巡りまわる中で浮かびあがる刹那。その刹那はしかし、誰かのふとした生活を思わせます。(松浦達)

 

 今年に入ってシティポップを取り上げることが僕自身も増えてきたようで、もしかしたらそういう音楽が盛上がってるのかなあと漠然と感じます。シティポップの中にもいろいろなテイストがあって面白いのですが、この曲は小さな舟が大河に浮かんでいるような時間軸を感じます。え、そんなのシティじゃないって?(大島栄二)

 アコースティックな手触りがしっかり出来たところで、いつ入ってきたか気づかないコーラスも、いつの間にか鳴ってた管楽器も、ボリュームが小さいのが気が利いてる。過剰な起伏にしない設計の中で、いろいろ盛りつけてあって、味わいがあります。(北沢東京)


pertorika『五月雨の頃』


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 メロディーと、犬童一心監督言うところの画面に一人ではなく、二人が映っているだけで満更ではないという文脈の最大効率とその後の喪失的な何かも内包した曲で、感傷性と忘却性、残酷な人間の性(さが)を示したような内容になっていると感じます。(松浦達)

 

 松浦さんが紹介するアーチストはそれだけでなんかしっかりしたスタンスを持ったバンドのような風情に見えてすごいなあと毎回思うのですが、このpertorikaなどもそうでした。HPに行くと新曲(?)のビデオもアップされてて、この曲よりポップで面白いので必聴、必見ですよ。(大島栄二)

 歌詞の電気を付けで灯りをつけて、テレビ批判でテレビを消し、散らかった部屋でみつけた写真の歌詞のところで部屋で写真を手に取り、雨上がりの街で濡れた地面が映る辺りから、このまま最後まで行けって思って、見上げる青空にはすごろくをあがった感覚がありました。(北沢東京)


yojikとwanda『閉鎖されてた』


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 こういうのは自分では絶対、アンテナが行き届かないという意味で。でも、聴いていると、癖になる感覚はあるのですよね。(松浦達)

 

 毎日のように紹介するのがルールになってると、時折紹介する曲がなくて「どうしようどうしよう」と焦ることがあります。この曲はそんな状況に陥ったベスト5くらいの時に発見したものです。でもそういう時には必ず何かが降りてくるもの。もう、発見でしたね。あのどうしよう的切迫感がなければ巡り逢ってないので、追い込まれるのもたまには良いものです。(大島栄二)

 ピンチになった時にわざと「さぁ盛り上がってきたぞ」って言うのを口癖にしてる人みたいに、唄ってしまうというサバイバル術もあるのだなと。(北沢東京)

 



【北沢東京が選ぶ5曲】

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