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ネクライトーキー『ゆうな』
【そうまでして伝えるのだという態度が、声の震えが、迫力を感じさせる】

ネクライトーキー、以前にレビューした曲はポップな曲調で、その曲調にこのコケティッシュな歌声はとても似合うなと思ってたけれど、こうしてバラードに載るとまた違った味わいがあって興味深いです。ボーカリストがトレーニングで自分の声を変化させることはもちろん出来るけれど、それはより磨き上げるとか奥に潜んでいた声を引き出すとかいう種類の変化であって、まったく違った声帯の声に変わるというものではない。もっささんのこの声は彼女の特性だし武器でもあるけれど、ある曲調ではそれをハンデだと感じることももしかしたらあるかもしれない。ポップで軽妙な曲だとこの声はまるでトイピアノのような可愛らしさを全力で発して、カラフルな歌に仕上げるための適役となる。だが切々と歌うバラードならどうだ。この声に説得力があるのか。そんなことを考える。そりゃあ腹の底から沸き上がるオペラ並みの歌唱力とか迫力ボイスの方が訴えかける力はあるのかもしれない。そりゃそうかもしれない。じゃあそんな声の人しかバラード歌ったらダメなのか。ホイットニーヒューストンが歌うバラードの前には沈黙するしか無いのか。そんなバカな。世の中にはか細い声の人もたくさんいて、そういう人だって心の内に情熱を秘めている。その情熱を、自分が持っている声で表現する以外に方法は無い。別に歌じゃなくても、例えば強盗に遭遇した時に相手を威嚇するのに声的な資格などないわけで、コケティッシュな声の人だって全力で凄みをきかせた威嚇声を発すべきだし、だから情感を込めるバラードだって、どんな声のボーカリストも歌にすべきだ。そのことが、あらゆる人の勇気につながることだってあるんだ。

もっささんの歌うバラードには、叶わぬものを叶えようとする意志のようなものを感じられる。いつ声が裏返るのかとハラハラしながらも聴いていると、知らないうちに曲の世界に引き込まれている。この声で楽に歌える範囲を超えた音域の曲で、だから上では表情を歪めながら、下では吐きそうな唸りとなって、必死で歌っているのが伝わってくる。そうまでして伝えるのだという態度が、声の震えが、圧倒的声量を持ったシンガーとはまた違った形で迫力を感じさせる。そういう表現への覚悟のようなものが全体から受け取られて、聴いていて清々しささえ感じられる。

(2019.5.31) (レビュアー:大島栄二)


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Posted by musipl