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星野源『私』【現代の静かな個人主義のような時代性】

先週あたりからコラボ動画で話題となり、毀誉褒貶も受けた星野源。結果として毀誉褒貶に彼自身は何の関係もなく、さぞ迷惑だったろうなと心情を推し量るが、そのコラボ動画の2ヶ月ほど前に公開していたMVがこれ。静かな歌。弾き語りというにはあまりに控えめなギターを従えて、ほぼほぼアカペラに近い歌を添えている。

歌詞がまたいい。世の中に厳然と存在する不条理と怒りの渦。そのことから目を逸らすことなく直視して認め、そこに抗する力の無さを受け入れた上で、なお自分にできる「生きる意義」を探ろうとする。それは例えば50年以上前に歌われた『ヨイトマケの唄』が持っていた不条理への怒りとその個人的克服にも通じるところがある。表現自体の直接的/間接的の違いはかなり大きくて、だから聴きようによってはさらりとしたポップミュージックのようにも聴こえる。だがその底には強い自己表現への讃歌がある。燃えたぎる自己主張がある。こんなにも静かな自己主張は、学生運動が盛んだった50年前とはまったく違った、現代の静かな個人主義のような時代性を纏っているようでもある。

この動画のコメント欄に、「昔の星野源っぽい」という言葉が並んでいる。この静かで内省的にも思えるこの曲が星野源の原点か。正直言って彼のことを知ったのはもはや紅白に出場するようになってからで、だからコメントのような「昔の星野源」というのがどういうものなのかはよく知らない。推測するだけでいいのなら、こういう静かに語るような音楽性がそうなのか。最近までのポップ全開のような曲との対比はあるし、本当の彼がどっちなのかというのは答などなくて意味も無いことだろうが、個人的にはこの曲は大好きだ。断然こっちの方がいい。ゴージャスなサウンドを背負って歌って踊るのは誰にだってできるが、こういうすべてを剥ぎ取ったようなパフォーマンスは誰にでも出来ることではない。彼の表現者としての実力を見せつけられたような思いだし、この曲を聴く前と聴いた後では、ゴージャスなサウンドとともにあるパフォーマンスだって見え方は変わってくるような気がする。

(2020.4.25) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二, 星野源

Posted by musipl