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ベルマインツ『ハイライトシーン』
【シンプルながらも些細な工夫を積み重ねているスタイリッシュさ】

なんだろうこのスタイリッシュさ。スタイリッシュといっても最先端のテクノロジーを駆使したことで生み出されるドヤ感なんかではなくて、アナログな感じのスタイリッシュさ。80年代にようやくミュージックビデオがテレビの深夜帯で番組として放送されるようになってきた頃の感じ。デジタルを使えば結構どんなことだってできるけれど、アナログの時代はいろいろなことに限界があって、例えばレコーディングでもアマチュア仕様のスタジオではせいぜい16トラックのオープンリールなので、なんでも重ねるわけにもいかない。一度録ったテイクをOKにするかどうか決めきれず、もう一度録るのならそのOKかもしれないテイクは上書きされてしまう。次に良いテイクが録れるという保証もない。ミックスの際にひとつひとつのトラックのボリュームを変化させようとしても、つまみを自動で動かすような指定ができないので、エンジニアさんの2本の腕ではできなくて、メンバーがスライダーを動かすハメになったりと、まあ不自由な時代だった。だからこそ、少ない音数でどう良い音楽を作るのかが問われていたし、そこにアイディアも必然的に求められ、サウンドは洗練されていったように思う。

そんな時代の、シンプルな中に詰め込まれていたアーチストと音との関係性のようなものをこの曲に感じたりする。間奏のギターソロで赤いテレキャスが何度も何度も単音弾きで繰り返すフレーズがあって、これがカッコいい。単音で弾くのって勇気が要るものだ。ディストーションとかディレイとかかけまくってジャラーンと弾けば音の厚みもあるし、多少のタッチミスなど吹き飛んでしまうし、存在感のあるサウンドになるのは間違いない。だが単音だとわずかなミスもあからさまにわかってしまう。音が単独でポツンポツンとあるだけなので、弱々しい。その単音が奏でるメロディそのものが丸裸で試される。歌の影でちょこちょこ入れるフレーズでいいなら別だが、それを間奏のギターソロでやるって、僕ならイヤだ。しかしこのギタリスト小柳大介は淡々とそのフレーズだけを繰り返す。その単音が孤高な感じで響く。カッコいい。サウンドもフレーズもカッコいいが、それを弾いている意志がカッコいい。このフレーズは間奏開けにまた繰り返される。今度はギターではなくシンセの音として重ねられていく。間奏で意図的に印象に残されたフレーズが、違った音で重ねられていく。間奏がただ単にギタリストが目立つために存在していたのではなく、後半に向けて盛上げていくための伏線として使われていたことに気付く。そういうひとつひとつの作戦が4分足らずの曲に散りばめられていて、その結果聴いていてワクワクもするし、ドキドキもする。するというのはあたかもリスナーの意志でそうしているような言葉だが、実際はアーチストの意図でそうさせられている。こういうシンプルながらも些細な工夫を積み重ねている音楽こそ、スタイリッシュな音楽なのだとあらためて気づかされる。

(2020.8.24) (レビュアー:大島栄二)


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review, 大島栄二

Posted by musipl